親鸞に学ぶ幸福論

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アメリカで交通事故に遭った

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【無常(3)】

 


私は20代の頃、アメリカで交通事故に遭うという、ちょっと特殊な経験をしています。

ロサンゼルスの大学のミーティングルームで勉強会があり、

徒歩でその大学に向かう途中、車にはねられました。

信号のない横断歩道で、歩行者である私のために停車してくれた車の前を小走りに通り過ぎたその瞬間、

停車した車の脇から突っ込んできた車にぶつかったのです。

 

甲高いブレーキ音に反応して、とっさに後ろを向いたので、

ひざ裏がちょうど車体の先端にぶつかって、

体ごとボンネットに乗っかる形になり、

それから一回転して、背中からアスファルトに叩きつけられました。

 

これは一緒に歩いていたイランの友人が言っていたので、

こうして描写できるのですが、

そのときの私は、景色が一回転したと思ったら、

アスファルトに肩がぶつかった衝撃がドンと来て、

呼吸が困難になり、自分がどうなったのかわかりませんでした。

ただなぜか小さいころに階段から落ち、

頭を床にぶつけた時の感覚を思い出していました。

 

いつしか近くの学生も野次馬で集まってきて、

駆けつけた救急隊員にTシャツを破かれて

何か恥ずかしいなと思ったのも覚えています。

 

そのまま救急車に運び込まれ、酸素ボンベをつけられ、

「オープン・アイス!!」という救急隊員が言ってきます。

「オープン・アイス?氷を開け?何、それ」

と言語の壁に阻まれたのですが、

これは「目を開けろ」という意味でした。

そのまま病院にて検査したのですが、

運の良いことに骨折もなく、その日のうちに退院できました。

 

今となっては、話題としても斬新なので、

貴重な経験をさせてもらった、と思っているのですが、

当たり所が悪ければ、最悪死んでいたかもしれない事故でした。

あとでアスファルトに残ったタイヤの黒い跡を見て、

ゾッとしたものです。

とっさに後ろを向いたのがよかったみたいです。

 

車にひかれる前、私は何を思っていたかと言いますと、

一時間後に行われる勉強会の内容をアレコレ考えていたのです。

それが突然、ブレーキ音と共に「ドン」です。

下手したら即死だったかもしれない、そんな瞬間は

突然何の前触れもなくやってくることを

否応にも自覚させられました。

 

臨終に「安らかに死にたい」「いい人生だったと言いたい」と語る人がありますが、

「死」とは、そんな感慨に浸る間もなく、身構える猶予もなく、

突如、そしてあまりにもあっけなくやってきます。

「あれどうしよう」「これどうなった」と

目の前のことに追われている平凡な一コマに

突然ドンと割り込んでくる傍若無人の無法者が「死」です。

 

お釈迦さまは

『出息入息 不待命終』

(しゅっそくにゅうそく ふたいみょうじゅう)

「出る息は入る息を待たず、命終わる」
]
吸った息が吐き出せなければ、吐いた息が吸えなければ、その時が死ぬ時だ、

と説かれています。

この経典の一節の重みを身をもって思い知らされる体験でした。

 

 

 

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