【菩薩(1)】
寺院などに安置されている観音菩薩の像、
あるいは道ばたの石の地蔵菩薩の像などを、
「仏さま」「仏像」と呼ぶ人も多いので、
「菩薩」も「仏」の一種なのだろうと思っている人が多いようですが、
これは誤解です。
菩薩と仏は違います。
今日は「菩薩」の正しい意味について知っていただければと思います。
京都や奈良の各寺院を回ると、菩薩といっても、
観音菩薩、勢至菩薩、弥勒菩薩、地蔵菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩など、
いろいろな名前の菩薩があることがわかります。
それぞれどんな菩薩なんだろうと関心を持つ人もありますが、
総じて、今日の日本人が「菩薩」と聞くと、
寒い冬でも黙然と路傍にたたずむ石像を思い出すのか、
腹も立てなければ、牛乳も飲まない、おだやかで、優しい方
というイメージを持たれる方が多いようです。
しかし決してそんな高潔な人格者だけを
「菩薩」と呼ぶのではありません。
本来「菩薩」とは「菩提・薩た」(ぼだいさった)の略です。
(「薩た」の「た」は「土偏に垂」と書く字です)
「菩提」とは「仏のさとり」
「薩た」とは「求める人」ということですから、
仏の悟りを目指して努力している人を「菩薩」というのです。
悟りといっても、高い悟りから低い悟りまで全部で52の位があり、
最高位の52段目を仏覚、仏の悟りといいます。
これ以上ない最高の悟りですから、「無上覚」といいます。
その仏覚を目指して修行している人を「菩薩」というのです。
菩薩の中には弥勒菩薩のように、
すでに「等覚」という51段目の悟り、あと一歩で仏という
高い悟りを開いている菩薩もいますし、
まだ一段も悟りを開いていない菩薩もいます。
しかしどんな人であっても、
その人が仏の悟りを目指している人なら、みな菩薩です。
このメルマガ、ブログを読んでおられる方も、
仏教を知りたい気持ちで読んでおられるのですから、菩薩といえます。
「何のために生まれてきたんだろう」
「必ず死ぬのに、なぜ生きるんだろう」
「死んだらどうなるか」
この答えを求めて仏教の教えを聞き求める人は「菩薩」です。
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