親鸞に学ぶ幸福論

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生きがいを持つことと仏教の関係

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【人生の目的(2)】

 


「人生の目的は何か?」と聞くと、

プロ野球選手とか、ノーベル賞とか、温かい家庭を築く

といった各人各様の答えが返ってきますが、

それはその人の「生きがい」であって、「人生の目的」ではありません。

「人生の目的」と「生きがい」とを混同しているから、

それで答えたつもりになってしまうのでしょう。

 

「人生の目的」と「生きがい」は、全く違います。

「人生の目的」とは、“人間に生まれてきた目的”“生きる目的”です。

「生きがい」は、“生きる明かり”“生きる支え”です。

その違いが曖昧模糊としている人は多いので、

仏教ではここを丁寧に説かれています。

 

まず「生きがい」ですが、

生きがいがなければ、人は生きてはいけません。

人間、生き抜くにはどうしても生きる明かり、生きる支えが必要です。

 

待ち受け画面を奥さんと子供の写真にしている友人が多いですが、

「妻子のためにも頑張らなきゃ」と励みにしているのでしょう。

それは「家族」を生きがいにしている人です。

 

晩酌が楽しみで生きているようなもんですわ、という人は

晩酌を力に、嫌なことも乗り越えているのですから、

「晩酌」を生きがいにしている人です。

もしその人から晩酌を奪ってしまったら、

生きる力を失ってしまうでしょう。

 

以前ある大学生が

「生きててもいいことないので、死のうかなとずっと思っていました。

ただ少年ジャンプのあの続きどうなるのかな、と

それを明かりで、とりあえず月曜日まで生きよう、と。

それをつなぎ合わせて、今まで生きてきたようなもんです」

と言うのを聞いたことがあります。

 

この学生の話に通ずると思うのが、

太宰治のこの言葉です。

ーーーーーーーー
死のうと思っていた。
今年の正月、よそから着物一反もらった。
お年玉としてである。
着物の布地は麻であった。
鼠色の細かい縞目が織り込まれていた。
これは夏に着る着物であろう。
夏まで生きていようと思った。
ーーーーーーーー

先ほどの大学生でしたら、

少年ジャンプを生きる明かりにしていた、ということですし、

太宰治なら、着物一反の着物を生きる明かりにしようと思った、ということでしょう。

 

かくの如く、私たちは、さまざまなものを生きる明かり、生きがいにして

なんとか懸命に生きている存在です。

ちょうど海におぼれたら

何か浮いている板切れや丸太に必死にしがみつくようなものです。

なんでもいい、とにかく何かにすがりつかないと、

波が苦しくてつらくって泳げていけないように、

私たちは何か信じる明かりがなければ

生きていけない存在なのです。

 

では生きがいを支えに、生き続けているのは何の為なのでしょうか。

生きていくために必要な生きがいですが、

なぜ生きていかねばならないのでしょう。

なぜ人は生きているのか、

そもそもなぜ死んではいけないのか、

生きがいを支えに生き続けたところで、

いつかは死ななければならないというのに・・・。

【必ず死ぬのに、なぜ生きる】

これが「人生の目的」とは何か、という問いです。

 

 

 

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