親鸞に学ぶ幸福論

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どの宗教も、同じ宇宙の法則だと主張する人に言いたいこと

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【宗教(1)】

 

「キリスト教でも、仏教でも、イスラム教でも、どの宗教でもいい。どれも同じだ」

と言う人が時々いますが、

私はそんな人は「どれも知らない人ではなかろうか」と疑わしくなります。

世界の三大宗教が(そのいずれでもいいですが)どんな思想宗教か、

基本的なところだけでも学んだ人ならば、

「どれも一緒だ」とは、いくら何でも言えるはずがないからです。

 

それでもまだキリスト教とイスラム教は

ユダヤの聖典をルーツとする「アブラハムの宗教」「契約の宗教」ですから、

多々、同じ教義はありますが、

仏教とアブラハムの宗教(キリスト教、イスラム教、ユダヤ教)とでは、著しく違います。

 

根本的な教義で「右に行け」と「左に行け」ほど違うものを、

もし「一緒だ」と主張するなら、

両者の真反対ともいえる教義の違いが、なぜ「一緒だ」といえるのか、

納得できるように説明できなければならないでしょう。

(納得できるように説明できますよ、という方があれば、私自身、ぜひお聞きしたいものです)

 

二人の科学者が提唱する学説が異なっていた場合、

両者は誠心誠意、意見を戦わせて、白黒つけます。

それが科学者としての誠実な姿勢です。

「どちらの主張もいい」と言ってしまったら、

それは真理探究を求める学問的姿勢を放棄したに等しいことになります。

もちろん権威や権力などのパワーで、あるいは暴力をもって、

科学者が一方の主張を封殺したとしたら、

それは最低のことで、学問の徒としてあってはならないことは言うまでもありません。

カトリックの宗教裁判でガリレオの地動説が否定されたのは、

そういうあってはならない事柄の一つですが、

それでは科学の発展は望めません。

理性的に、相手が意見を述べることをきちんと聞いて、

その上でどちらが正しいか、冷静に判断していくのが

あるべき姿です。

 

仏教の一切経も、キリスト教の聖書も、マホメットのコーランも教義は違いますし、

また釈迦、キリスト、マホメット、いずれの開祖も

「どの宗教でもいい」とも言い遺していないのも、学べばすぐわかることです。

つまり「どの宗教でもいい」と主張することは、

釈迦、キリスト、マホメットを否定することになります。

「そうでない、彼らは深いところで一緒のことを言っているのだ」と主張するのなら、

どう一緒だといえるのか、両者にわかるような説明がなければなりません。

それができないとしたら、無責任だと指摘されても仕方ないでしょう。

 

ちょっと聞くと、「これは宗教ではない」「宇宙の法則だ」「排他的なのが一番よくない」の主張は

宗教同士の争いのない、全人類が同じ信仰を持つ、寛容で平和な考えに聞こえるので、

角が立たず、受けがいいですが、

そもそも「どれも同じだ」と主張する時点で、

その人は多くの宗教とそれを信仰する人を排他していることになります。

 

 

 

 

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