親鸞に学ぶ幸福論

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「おかしな人間の姿」を仏教ではどう説かれているか

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 【迷い(1)】


ある70代の男性が末期がんで余命3ヶ月と宣告されました。

それからというもの彼は、この3ヶ月間どう生きたらいいのか、

どうしたら自分らしく生きられるだろうか、切に知りたくなり、

本も読むようにもなり、人にも聞くようになりました。

あと3ヶ月後には死ななければならないという精神的な動揺は激しく、

さらには肉体が蝕まれていく苦痛とが重なり、今でさえ相当つらい。

これから先、ますます精神的にも、肉体的にも追い詰められたら、

自分はどうなってしまうんだろう。

不安を覚えた彼は、どうしたらそんな中でも動じない生き方ができるのだろうか、

どうしたらあと3ヶ月、悔いのない生き方ができるのだろうか、

と真剣に考えるようになりました。

 

「余命をどう過ごせばいいのか」

これは医療従事者も真剣に考えることです。

最近は緩和ケア病棟が病院に設けられるようになり、

多くの医師や看護師が余命を宣告された患者の終末医療に携わっています。

それら医療従事者は、患者がその人らしく生きてもらえるよう全力を尽くすのが自分たちの使命だと受け止め、

その人らしく生を全うしてもらうためには、

どんな薬をどの程度、どれくらいの頻度で与えればいいのか、

また患者の心が少しでも穏やかになるコミュニケーションのあり方を考えたり、

さまざまな面から研鑽しています。

 

それら医療従事者の努力によって、

一昔前は末期がん患者は「かからにゃ分からぬ地獄」と言われるほど痛々しいものでしたが、

最近では心身ともに昔ほど痛みがなく、

死を迎えることができるようになりました。

ありがたいことです。

 

このように、患者は3ヶ月の余命をどう生きるか、

医師と看護師は3ヶ月の余命をどう生かすか、

懸命に考え、よりよい生き方を模索しています。

それはそれで非常に大事なことなのですが、

仏教はここに「それだけでいいのか」と問題提起します。

 

患者は残された命の3ヶ月間、どう過ごせば

自分らしく、動揺せず、悔いなく生きられるか、に一生懸命なのですが、

それだけでいいのでしょうか。

3ヶ月ほど経てばその方は亡くなるのです。

では亡くなった後、その人自身はどこへ行くのか、

死んだら一体どうなるのか

必ず死ぬのですから、死んだらいったい私はどうなってしまうのか

それが完全に抜け落ちており、まったく問題にされていません。

「死んだらどうなるか」を忘れて、

「生きること」しか考えていないのは、おかしなことではないでしょうか。

 

今月が3月、今から約3ヶ月経てば、7月頃には死んでしまう、

では死んだその先、私はどうなるのか、

死んだ後はあるのか、ないのか、

あるとしたらどんな世界なのか、

確実な将来がまったくわからず、暗いままです。

必ず100%になってくる問題である以上、

どうでもいい問題ではないはずです。

なのに、それが少しも問題にせず、

この3ヶ月の間の生き方しか考えていません。

死んだらどうなるか、こちらの方は心配にもならなければ問題にもしません。

【100%必ず死なねばならないのに、生き方しか考えていない】

これを「おかしな話ではありませんか」と仏教は説いています。

 

 

 

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