親鸞に学ぶ幸福論

「そんなにしてまでなぜ生きねばならないのか」はっきり示した、メールdeで学ぶ仏教教室です。無料メール講座が好評です。受講者4000人。

雑毒の善を説かれる龍樹菩薩(ナーガールジュナ)

f:id:kikuutan:20190323094254j:plain

 

【雑毒の善(2)】

 


お釈迦様は、私達のやる善には毒が雑じっている、と言われ、

これを『雑毒の善』と説かれていることを、先回から話をしております。

ここでいう「毒」とは、「私が、誰々に、何々をしてやった、してあげた」という心です。

 

親切は「受ける」よりも「与える」方が喜びが大きい、

という事実を知っている人はあっても、

親切したとき「与えた」という意識から離れきれる人はありません。

「私が与えたんだ、誰のおかげで与えてもらったと思ってるんだ、他でもない、この私がしたんだ」

という心が毒なのです。

「あなたに与えたんだ、あなたが困っていると思って、あなたのためと思って与えたんだ。

あなたねぇ、涼しい顔して受け取ってるけど、私があなたのためにと思ってしたことなんだよ」

と言いたくて仕方ない。

「私だって余ってたから与えたんじゃない、こんな苦労もあったし、こんな大変なこともあった、それなのに与えたんだ」

とわからせたくなる。

そういう心をお釈迦様は「毒」と言われているのです。

 

しかもこの毒は与えたモノが大きければ大きいほど、毒性を強めます。

「してあげた」という恩着せ心は大きくなる、ということです。

 

何かの時に持ち合わせがない友人に1000円貸し

「悪い、今度返すな」と言われたものの、

その後何度も会っているのに、いっこうに返さない。

そうなっても「まぁ、忘れたんだろうな」くらいで

そんなにも腹は立たず、穏便に済ませることができるのは、

金額が1000円くらいだからです。

ところがこれが100万円だったらどうでしょう。

自分にとっても大金だけど、困っている友人を助けられるなら、と思いきって渡したのに、

その後いっこうに返そうとしない、なればどんな気持ちになりますか。

「なんで平気でおれるんだ。申し訳ないとか思わんもんかい。こいつ、人格おかしいんでないか」

と腹が立ってきて、友人への親切を「与えるんじゃなかった」と後悔するようになります。

 

こんな人間の善の実態を、小釈迦とも称される龍樹菩薩(ナーガールジュナ)は

『大智度論(だいちどろん)』に、こうあります。

ーーーーーーーーー

四十里四方の氷の大氷原がある。

そこに二升や三升の熱湯をかけると、いったんは、地面の氷が解けるが、

翌朝行ってみると、氷が盛り上がっている。

ーーーーーーーーー

 

自分の冷たい心がいやで、

温かい心の人間になりたくて、

他人に善いことをしたのに、

期待どおりの見返りが返ってこないと

「あんなにしてやったのに」と

猛然と、怒り、憎しみの感情がわいてくる。

そんな私達の善の実態を、説かれたたとえです。

 

こんな雑毒の善しかできない人間が、本当の幸福になるにはどうしたらいいのか、

徹底して教えられているのが、仏教の教えです。

 

 

 =========

仏教の教えを分かりやすく体系的に学べる
全20回の無料メール講座です。
おもしろそうだなと思われた方はこちらから登録できます。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。

 

「一から分かる仏教」無料メール講座
メールアドレス:
お名前:

=========


仏教の教えをわかりやすく体系的にお話する

20回の無料メール講座好評配信中。