新元号は「令和」になりました。
響きは近未来的です。
今後「令和の歌姫」「令和の怪物」といわれる人物も現われるんでしょうね。
厳しい寒さのあと、春の訪れを告げるように梅の花が咲く、
との意味があるとのことで、
3年前に書いた記事の内容とピタッとくると思ったので、再掲いたします。
http://kikuutan.hatenablog.com/entry/2015/02/12/155421
では改めて今日の仏語は【旅人】の3回目です。
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お釈迦様が人生を旅に譬え、人間を旅人に譬えられているのは、
昨日から今日、今日から明日へと、一カ所にとどまれず、時間の旅をし続けている有様と、
さらにその人生行路は平坦なものではなく、山あり谷ありで難儀することを過去2回でお話ししました。
今回は「なぜ仏教では人生を旅に譬えられているのか」その3回目です。
旅をしていると、出会いと別れを繰り返します。
新しい村に着くと、そこで初めて顔を合わせる人があります。
多くの人との出会いがそこにあります。
それからしばらくの間、心を通わせ、時にはいがみ合い、
やがて旅人はその村を離れるときがきます。
その時には、それらの人と別れなければなりません。
別れたらもう二度と会わないであろう人がたくさんあります。
旅というのは、出会いと別れの連続なのです。
いつまでも一緒にいることはできません。
私たちの人生もまたそうです。
特にこの3月、4月は出会いと別れの季節ですね。
卒業式、入学式、退職、入社など、さまざまな出会いもあれば、さまざまな別れもあります。
感傷的な別れも「去る者は日々に疎し」で
去って行った人はだんだん記憶の片隅に追いやられ、
やがて時々思い出しては「あんな人もいたなあ」という存在になってしまいます。
あなたも今月初めて会った人もあったことでしょう。
その人とは今後どういう仲になっていくのか、
一回きりのご縁なのか、
今後何年と縁を深めることになるのか、
それとも人生において大きな影響を与える仲になるやもしれません。
今あなたが心を通わせる人も、お付き合いしている人も、
初めて出会ったという時があったはずです。
さまざまな出会いと別れを繰り返しながら、私たちは日々生きています。
それは出会っては別れるのを繰り返す旅人のようなものです。
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