【老死(1)】
強大な権力を手中にした権力者が最後に臨むのは「不老不死」だと言われます。
闘争に勝利して獲得してきた膨大な黄金と名声が、
我が身の死によって他者に取って代わられるのが耐えがたいのか、
いつまでも手放したくない、という強い執着がそう願わせるのか、
並居る敵を屈服させてきた世界の覇者は、
人生の最期に「老い」と「死」という最大最強の敵に立ち向かうのです。
しかしこの戦いにだけは、勝利した者はついぞ聞きません。
中国最初の皇帝、始皇帝は中国全土を統一し、
中原の富と名声とをすべて我が物にしますが、
晩年になって不老不死を求めます。
家来である徐福に、蓬莱の国へ行き不老不死の仙薬を持ってくるよう命じたことが『史記』に記録されています。
不死を求めた始皇帝の願いはかなわず、即位から11年後に死去しています。
古代エジプトのファラオたちは永久に生きようと、ピラミッドを建立しました。
幾千、幾万という労働者たちの命をも犠牲にして建てたピラミッドの中に、
いつまでも覇権を振るう為に用意した金銀財宝を納めましたが、
あらかた盗賊に荒らされてしまい、その努力は砂塵にまみれています。
スペインが米国のフロリダを発見したのも、
沈まぬ国スペイン王が莫大の富を使って、若返りの泉を探し求めての結果でした。
発見したスペイン兵はアメリカ先住民との小競り合いで死亡し、
その後も新大陸の探検は進められましたが、若返りの泉はいまだに見つかっていません。
そして現代。
今度はグーグルが、数百億円を投じて作った子会社「キャリコ」を創業し、
「不老不死」に挑戦しています。
老化こそ死因につながるすべての病気の最大のリスク要因だと位置づけ、
老化そのものを治療することを目的と掲げ、
人の寿命を500歳まで延ばすことを目標としています。
しかしたとえ500歳まで生き長らえたとしても、
それで人類は老いと死を克服したと言えるでしょうか。
未来の憂鬱をちょっと先延ばしにしただけではないでしょうか。
仏教を学ぶと『十劫の昔』とか『八万劫の間』といった単位の言葉がありますが、
一劫は4億3千2百万年です。
そんな時間軸を舞台に説かれる仏の眼からすれば
『人の一生は電光朝露の夢幻のごとし』
人の命の長さは、パッと光って消える稲光、瞬く間に消える朝露のようなものなのです。
信長は「人生50年」と謳いましたが、
それが80年になろうが、人生100年時代が来ようが、
グーグルによって500年時代が到来しても、
仏教からすれば50歩100歩で、
『電光朝露の夢幻』の実態は何も変わりません。
結局どうあっても「死ぬ」のですから。
その一瞬の朝露のような人生にどんな意味があるのか、
ここに悩まれ、出家されたのが、シッダルタ太子(のちのお釈迦様)でした。
そして35歳、仏の悟りを開かれ、お釈迦様は、
この一瞬の人生に「尊い目的がある」と宣言されたのです。
「迷いを続け、流転を重ねてきた永遠の生命に終止符を打ち、
未来永遠の幸せになれる素晴しい目的が、この一瞬の人生に存在する。
だからこの一瞬の人命に、尊く、かけがえのない価値があるのだ」
と説かれているのが、仏教です。
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