【無常(2)】
友人と二人、駐車場脇の花壇に咲くあじさいの前を通ったときのこと。
ついこないだまできれいに咲き誇っていたあじさいの花が
夏の日差しでか、さび色に朽ち果てているのを見て、
「無常だよな」と私がぼそっと言ったところ、
横にいる彼は、私が「無情だよな」と言ったと誤解したことがありました。
連日の猛暑でぐったりしたあじさいを
私が「かわいそうだ」「哀れだ」という意味で、
「無情」という言葉を使ったと思ったそうです。
その後の会話のやりとりで
「無常」を「無情」と受け止めていたのが分かったのですが、
読み方が一緒なのと、一般的には「無常」より「無情」をよく使うので、確かに誤解しやすいですね。
ただ意味自体を考えれば、あながちに間違いともいえません。
確かに「無常」は「無情」だからです。
かつてはその業界で「○○にその人あり」と権勢を誇った人が、
脳梗塞や難病で体が思うように動かず、病床で呻吟する姿に、
「無常」を見せつけられますが、
まさにその姿は「無情」でもあります。
20代の看護師におむつの交換をしてもらい、
介助なしでは食事も取れない有り様に
「あれがあの辣腕でならした△△さんか」
と、見舞いに訪れたかつての部下も言葉を失うそうです。
十何年ぶりにテレビで懐かしの女優を見かけたりすると、
「老けたなぁ」と驚くことがあります。
無常の世ですから老いるのは当然とはいえ、
それが美しい人だとなおさら、その「無常」は「無情」、残酷なものです。
高齢化が進む日本で深刻化しているのは、介護問題です。
私の知り合いにもご本人も65歳以上なのに、
さらに高齢の親を介護している方があります。
これを「老老介護」というそうですが、さらに深刻なのは「認認介護」です。
「認認介護」とは、認知症の夫を、同じく認知症が進んできた妻が介護することです。
今日、在宅介護の世帯の約10パーセントが「認認介護」状態だといわれ、その割合は増加する一方です。
無常の世の中、やがて我が身にも訪れる現実とはいえ、
痛々しいばかりで、あまりに「無情」です。
病院でも無常の嵐が吹き荒れています。
末期医療を施す病棟では、
入院して一ヶ月足らずでベッドが空き、また次の人、次の人と入れ替わり、
恒例の事務処理手続きのように、医師も看護士も慣れていくそうで、
その姿にも「無情」を感じます。
無常の風の吹きすさぶ、無情の世にあって、
真に変わらない幸せはないか、人は心の底で渇望しています。
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