【有無同然(2)】
江戸時代は幸せだった、という歴史観の根拠としてよく用いられるのが、
幕末や明治初期に日本に訪れた外国人たちの証言です。
「私は質素と正直の黄金時代を、いずれの国におけるよりも多く日本において見出す」(ハリス)
「人々の暮らしの光景すべてが陽気で美しい。だれもかれも心浮き浮きとうれしそうだ」(米国の女性旅行家イライザ)
「江戸上陸当日、不機嫌でむっつりした顔にはひとつとて出会わなかった」(オズボーン)
しかしこれらの声を聞いても私は、諸手を挙げて「江戸時代は幸せだった」とはちょっと言えません。
おそらくこれは現代の日本人が、南の島国の原住民の屈託のない笑顔や人なつっこさに感動して、
「日本より幸せだ」「最後の楽園だ」とはやし立てるのと同じ現象ではないかと思うからです。
日本人が「楽園」とレッテルを貼る原住民は
「ああ、俺たちは幸せだ」と身の幸をかみしめているか、というとそうでもなく、
「毎日毎日、魚獲って一日が終わる。
オレのじいちゃんも、オレの父ちゃんも魚獲って、一生が終わっていった。
オレもこのままではそうなるのか。。。
ああ、うんざりだ。こんな国、嫌だな。
日本の秋葉原とか行きたいな、もっと自由に生きたいな」
などと、思っているのではないでしょうか。
幕末の外国人も、遠い異国の地で、見るもの聞くものすべて新鮮で、
感傷的な気分にもなっていたのだろうと、私は思います。
江戸時代は江戸時代で、こんな世界嫌だなと、尻込みする陰鬱な部分もたくさんありました。
完全なる階級社会、長兄のみ世襲で次男以下は結婚も出来ない、
抗生物質やワクチンがなく、虫歯も治せない、飢饉が多く餓死者が多い、
これも江戸時代の一つの側面です。
徳川家康は、戦国の世を終わらせ、太平の世を築くために江戸幕府を開き、
幕末の志士は、日本が欧米列強の植民地にならぬよう、明治維新を成し遂げました。
確かに日本の変革に彼らの活躍があったことは事実ですが、
ではそれで人は幸福になったか、と問われると、答えを失います。
大化の改新、建武の新政、天保の改革、明治維新、
何とか苦しみの重荷を下ろそうと
「刷新」「改革」「新政」「維新」と理想を実現したものの、
重荷を右肩から左肩に移し変えただけで、
「変わった」が「幸せになった」感がない。
数え切れないほどの武士が斬られ、社会が変わろうと、
人類の根本的な問題は何も変わらず、
真の幸福には、近づいてさえもいない。
懸命に幸福を追い求めて変化してきた歴史の変遷は、
有っても無くても苦しみは変わらないと説く『有無同然』の仏説まことを証しているかのようです。
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