【仏舎利(1)】
オウムの教祖であった麻原彰晃こと松本智津夫の死刑囚の遺骨をめぐって、
親族、教団内で争いが起きているようです。
遺骨信仰の根深さを思い知らされます。
お釈迦さまが亡くなられた後、
いつしかその遺骨は「仏舎利」と言われる信仰の対象になりました。
「仏舎利塔」という建物の中に安置され、
その塔に向かって合掌礼拝し、ご利益を祈るようになりました。
またお釈迦さまの遺骨を安置する寺院が正当とされたので、
どんどん分骨され、各寺院に仏舎利塔が建てられました。
チベット仏教でも仏舎利塔を大変大事にし、
ごま粒ほどの骨をお釈迦様の遺骨と称して、合掌礼拝しています。
スリランカ仏教の一派で日本で布教しているスマナサーラという坊主も、
スリランカにはお釈迦さまと舎利弗、目連の遺骨の安置された仏舎利塔があるが、
中国の仏舎利塔は偽物だ、と主張しています。
今日ではなにしろ各国の各寺院に仏舎利塔があり、
「その遺骨は偽物で、こちらが本物だ」と言い合っては、もめているのです。
もしこの現状をお釈迦さまが見られたら、なんと思われることか。。。
「何をくだらないことで論争しているんだ。つまらんものに手を合わせているのか」
と嘆かれることでしょう。
当然ながら、たとえその寺に安置しているお釈迦さまの遺骨が本物であったとしても、
そこで説かれている話がお釈迦さまの教えられたことと違っていたならば、
その寺の存在には何の価値もありません。
お釈迦様は私たちに教えを遺されたのであり、
これを「人に依らざるべし。法に依るべし」と言われたのです。
ならば仏弟子たる者、何を守らねばならないのか、尊重すべきことは何か、はっきりしています。
「教え」です。
親鸞聖人が「親鸞が死んだら加茂川に入れて魚に食べさせよ」と言われたのも、
この精神から来ています。
遺体を大事にしたいのも人情としてはわかりますが、親鸞聖人は
「焼けば灰になる肉体の後始末より、ずっと大事なことは、生きているときに迷いの魂の解決をすることですよ」
と教えられ、平生に迷いを打ち破って幸福に生かされる、真の釈迦の教えを明らかにされています。
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