親鸞に学ぶ幸福論

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依存と自立の関係を『愛憎』の仏説から語る

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【愛憎(1)】

 


先日のブログで「愛憎」について書いたところ、

お二人のメルマガ読者の方から

「では人を愛さない方がいいということでしょうか」

とのご意見(ご指摘?)をいただきました。

その方々へのお答えとして書いたメールの内容を元に、

今日のメルマガでお話しいたします。

 


 
人を愛し、信じ、たよりにし、支えにすると、

分かってくれないことにショックを受け、

裏切られれば憎くなり、悲しくなってくる、

これを仏教では「愛憎一如」と説かれます。

 


では、そんな苦しみに陥らないようにするには、どうすればいいか。

「愛さないことだ」という人もあります。

「愛するから傷つくんだ。愛さないこと、期待しないこと、依存してはダメ、自立しなければ」

と自らにも言い聞かせ、人にもそう勧める人があります。

 


しかし誰にも依存しない生き方が、自由で幸福に満ちているかというと、

それはそれでまた違う苦しみがあるものです。

 


誰にも依存せず、自立した女性を目指して頑張ってきたら、

皮肉にも買い物依存症になった、という女性の実体験を聞いたことがあります。

「依存はダメ」「依存はダメ」と気負いすぎて、

結局違う何かに依存してしまうケースも少なくありません。

 


薬物やアルコールなどの依存症が取りざたされる機会が多くあるので、

「依存」という言葉には、相当マイナスな響きがありますが、

依存症と呼ばれる病的な状態が問題なのであって、

依存することそのものは、否定されるべきものではありません。

そもそも私たちは 何かに「依存」しなければ生きていけない存在だからです。

 


依存するとは、言い方を変えれば、たよりにする、支えにする、力にすることです。

夫は妻にいろいろな面で依存しています。

奥さんがいなければ、靴下がどこにあるかも知らない、アイロンのかけ方も知らない、

そういう男性は多いと思いますが、奥さんにあらゆることで依存しているといえます。

妻も夫に依存しています。

苦しい時に相談する存在であり、一緒に対処法を考えてくれる夫

お互い支え、支えられているのは、言い方を変えれば、依存し、依存されている姿です。

 


夫婦でありながら、お互い少しも相手に頼らない、支えにもしない、

全く依存しない関係のというのもどうでしょう。

 


親は子供をたよりにし、子供は親をたよりにしています。

子供が成長して少しも自分を頼らなくなると、

頼もしく感じる反面、親からすると寂しくもあります。

子供にしても、親が全然自分に依存してくれないと寂しく思うものです。

面倒をかけたくないからと、年をとっても一人暮らししている方はいますが、

もっと子供に頼ったらいいのにと思いますし、

またそれを子供も期待してるというケースもあります。

 


何もかも「依存してはだめだ」「たよったら負け」と生きてきた結果、

いつしか自立は孤立になり、誰にも弱音一つ言えず、孤独に震える人もあります。

 


以前の心理学では、依存心の少ない人=自立している人、というように、

自立と依存は反対概念のように扱われていました。

ところが最近はそうではなく、

依存すべき時に依存し、そのことを認識し、感謝することによって自立する、と言われます。

依存の大切さを忘れて自立しようとしても、自立できるはずがないのです。 

 


相手に支えられて今の自分があることを感謝し、

そんな相手を自分もまた支えようと向上する関係でありたいものです。

 

 

 

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