親鸞に学ぶ幸福論

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心の持ちようで幸福になれると仏教は説いているか

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【無常(1)】

 

仏教に説かれる「絶対の幸福」をお話しすると、

「絶対の幸福って、心の持ちようですか?」

と時々訊かれます。

 

確かに絶対の幸福は心の幸福ですが、

いわゆる多くの人がイメージし、言葉としても用いている

「心の持ちよう」で得られる幸福とは、全く違います。

 

だいたい「心の持ちよう」ほど、あてにならないものはないのです。

諸行無常』“一切は変わる”と説かれる仏教ですが、

中でもとりわけ変わりやすいのは「心」だと教えられています。

盆の上の玉子のように、

ころころ変わり続けるから「こころ」。

心ほど変わりやすいものはない。

ということは「心の持ちよう」ほど、

あてにならないものはない、ということです。

 

「心の持ちようで幸、不幸が決まる」と主張する人の用いる例えで

よく知られるのは、「コップ半分の水」の話です。

コップに半分の水が入っている事実を見て、

「もう半分しかない」と嘆く人もいれば、

「まだ半分もある」と喜ぶ人もいる、という話ですね。

事実は一つでも、心の持ちようによって、

人間の幸福はどのようにでも変わるのですよ、

と主張する際に用いられる例えです。

「幸せはいつも自分の心が決める」というフレーズも、

この思想から出てきます。

 

心の持ちようを礼賛する人は

「“幸せになりたい”と思ったり、言ったりするのがよくないのだ」

ともいいます。

「まだコップに水が足りないから、もっと水が欲しいという不満であり、

その、現状を不幸だと思っているマインドこそが、

今あなたを不幸にさせているのだ、と。

逆に「今、自分は幸せだなあ」と感謝するのは、

コップに半分の水があることを喜び、幸せを感じているのだから、

その人は幸せなのだ、との説です。

 

その主張はそれはそれで正しいともいえます。

「もう半分しかない」と不安におびえたり、

「なんで自分は半分しかないのか」と不満になるよりも、

今を感謝して「まだ半分もある」「こんなに自分は恵まれている」と思った方が、

明るく楽しく生きられることはよくわかります。

 

しかしここで問題になるのは

その「心の持ちよう」が簡単ではない、ということです。

幸せは心の持ちようだよ、と誰かから聞かされ、

まだコップに半分もあることを感謝しようとしていても、

誰かから「半分じゃ何かあったら不安だよ、もう少し水が入っていないと」と忠告されると、

やっぱり大丈夫だろうか、とまた心が憂鬱になってくる。

誰かの些細な一言でも、心がコロコロ変わっていきます。

 

また周りを見ると、みんな自分よりコップに水が多く入っている。

すると「なんで私だけがこんな目に」と、感謝しようにも、

劣等感や焦燥感が先に立ってしまいます。

逆に周りの人がみんな、コップに水がほとんど入っていなかったら、

「自分は半分もあって幸せだな」と感謝できます。

つまりどうしても周りと比較してしまうのです。

 

また今までの人生で、コップにいっぱい水が入っていた人なら、

コップ半分に減ってしまったら、

「半分しかない」と、どうしても思ってしまうのではないでしょうか。

ずっとコップに水が一杯だったのが当たり前で生きてきた人は、

コップ半分の水に感謝しよう、と促されても、

なかなか心が切り替えられません。

逆に、今までコップに水がほとんど入っていない辛い中、生きてきた人なら、

コップ半分の水に心から感謝できるでしょう。

 

このように私たちはどうしても周りの人や自分の過去にとらわれ、

比較して幸、不幸を感じてしまう存在なのです。

比較する幸福を「相対の幸福」といいますが、

私たちは相対の幸福しか知りません。

絶対の幸福はわかりません。

 

「過去に固執しているからそうなるんだ」

「人は人、周りの人にとらわれるな」

と言われそうですが、そんな人に逆に訊きたいのですが、

じゃあ誰が過去にとらわれず、今を生きることができる人があるでしょうか。

そんな聖人君子がいたら、お目にかかりたいものです。

 

心の持ちようだから、と頭ではわかっても、

実際は借金で頭悩ませたり、

人間関係でクヨクヨする日々を送っているのが、

私たちの現実です。

素直に手を当てて自分の心を見つめれば、

過去や周りに固執してしまう、そんな自分しかありません。

これを親鸞聖人は「煩悩具足の凡夫 」(煩悩の固まりの人間)といわれています。

 

そんな周りや過去に固執し、一喜一憂する私たちが、

その固執する心そのままで大安心、大満足する境地が「絶対の幸福」です。

 

 

 

 

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