【無明の闇(1)】
「人間から気晴らしを除いたら、不安と倦怠だけになる」
とはパスカルの言葉です。
テレビも、ゲームも、読書も、おしゃべりも、
何かしていないと虚しく、退屈で、不安でやりきれないからしているだけの、
気晴らしの一種だと言っています。
駅のキヨスクで雑誌が売れたり、プラットフォームでスマホゲームにいそしむのも、
ほんの電車を待つ数分の手持ちぶさたに耐えられないから、ともいえます。
「つまんねえ」「なんかいいことない」という若者の声は
この不安、退屈から助けてくれ、とのうめきです。
これをB・ラッセルは
「趣味や娯楽は、たいていの場合、根本的な幸福の源ではなく、むしろ現実からの逃避となっている」
と言いました。
鋭敏な哲学者たちがぼんやりと気付いている、これら「人生の虚しさ」「漠然とした不安」を
仏教では「無明の闇」といわれます。
仏教では、趣味や娯楽だけでなく、
政治・経済・科学・医学・芸術・文学・宗教・法律・スポーツなど、
人間の一切の営みは、この人生の虚しさをごまかす努力だ、と説かれます。
国会で論じていることも、ノーベル賞級の研究も、ルーブル美術館の作品も、
世界中の宗教儀式も、オリンピックも、宇宙旅行も、国家間の戦争も、
あれら全部、人生の虚しさをいかに目を背けるか、のために存在している、だなんて。。。
身もフタもない、衝撃的な釈迦の教えだと思われませんか。
漢の武帝が「歓楽極まりて哀情多し」と詠んだのも、人生の虚しさを感じてのことでした。
苦労してようやく手にした歓び、楽しみなのに、
この虚しさは何だろうと、自己の胸の内を告白しています。
ビートルズのジョン・レノンはこのように言っています。
「ビートルズは、欲しいだけの金を儲け、好きなだけの名声を得て、そして何も無いことを知った」
夏目漱石も死の前年、こう記しています。
「今まで書いた事が全く無意味のように思われ出した」
どれだけのことを成し遂げても埋めることのできない、この得体の知れない虚しさを
どうすれば晴らすことができるのか。
仏教の目的はそこにあります。
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