【六識(1)】
仏教に「六識」という言葉があります。
「識」とは「心」という意味で、
仏教に説かれている六つの心のことを「六識」といいます。、
眼識(げんしき)・耳識(にしき)・鼻識(びしき)
・舌識(ぜっしき)・身識(しんしき)・意識(いしき)の六つです。
およそ人間の楽しみは、この六識の楽しみに収まります。
見る楽しみ、聞く楽しみ、嗅ぐ楽しみ、
食べる楽しみ、触る楽しみ、知る楽しみ、です。
美しい自然の景色を観光したり、素敵な芸術作品を観賞して楽しむのは
「眼識」の楽しみを味わっていること。
歌手やオーケストラのコンサートに行くのは、
「耳識」の楽しみを求めてのこと。
アロマを炊いたり、すがすがしい自然の空気を吸い込むのは、
「鼻識」の楽しみです。
グルメや料理の追求は、
「舌識」を楽しませようとする努力であり、
肌触りのいいシーツやマッサージの気持ちよさは
「身識」の楽しみです。
読書や人の話を聞き、新しい知識に胸躍るのは
「意識」の楽しみを満足させている姿です。
人間の営みはこの六つの楽しみの追求です。
しかし、これら六識の楽しみは、いずれも「続かない」という欠点があります。
どんな絶景も、その感動はやがて冷めてしまいます。
どんな好きな音楽でもずっと聞いていると、飽きてきます。
どんな芳香も、次第に慣れ、感じなくなってきます。
どんなおいしい食事も満腹すれば、楽しみは終わります。
背中を掻いて気持ちよくても、ずっと続ければ痛くなってきます。
どんな知的満足も続かず、色あせてきます。
人間は日々の生活の中で、
見るか、聞くか、嗅ぐか、食べるか、触るか、知るかして、
なんとかいろいろな楽しみを獲得しようと努めていますが、
これら六つの楽しみはことごとく、はかなく、短命です。
仏教の「六識」の教えは、人間のはかない幸福の実態を教えられたものなのです。
この「六識」の楽しみしか知らない私たちに、
お釈迦様は「六識」の楽しみを超えた本当の幸福のあることを明快に説かれています。
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