親鸞に学ぶ幸福論

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正信偈で親鸞聖人が伝えようとされたことは何だったのか

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【正信偈(1)】


親鸞聖人の書かれた『正信偈』は、

今も葬式や法事の際に読まれるので、多くの人に知られています。

「正信偈?聞いたことないぞ」という方でも

冒頭の「きみょう~むりょう~じゅ~にょ~らい~」と聞かれれば、

「あー、あれが正信偈か」と分かられる方もあるのではないでしょうか。

 


漢字ばかりで書かれているので「お経」だと思っている人が多いですが、

『正信偈』はお経ではありません。

お経は、釈迦のお言葉を書き残したものですが、

『正信偈』は親鸞聖人の書かれたものですから、お経とは違います。

 


わずか1行7文字で120行、全部で840字の『正信偈』に、

親鸞聖人の教えのすべてが収まっています。

だから『正信偈』の意味が分かれば、親鸞聖人の教えのすべてが分かります。

 


このたび何回かに分けてお話ししたいのは、『正信偈』という題名についてです。

親鸞聖人はなぜご自身の教えを簡潔・明快に教えられたこの文章を

『正信偈』と名付けられたのか。

そこにどんな意味が込められているのか、お話ししてまいります。

 


『正信偈』の「偈」とは「うた」。

聞かれたことがある方はご存じのように、「うた」ですから、独特の節があります。

『正信』は「正しい信心」。

よって『正信偈』とは、正しい信心の歌、ということです。

親鸞聖人が「正しい信心」を、親しみやすい歌の形で教えられたのが『正信偈』なのです。

 


「正しい信心も何も、そもそも信心なんか関係ない」と、

自分とは何の関係のないタイトルのように思われる方もあるかも知れません。

ふつう「信心」と言えば、何かの神や仏を信ずることだと思っています。

「あなたは何を信心していますか」

「私は観音さんを信心してます」というように、

何か特定の宗教を信じている人に用事のある言葉であり、

無宗教の自分に「信心」の話は関係ないと思うのでしょう。

 


しかしよく考えてみてください。

「信心」とは、「心で何かを信じる」ことですから、

何も神や仏に限ったことではありません。

何かを信じていれば、それはその人の信心です。

 


信じるとは、あて力にする、たよりにする、支えにする、

と言い換えても同じことです。

私たちは、何かを信じなければ生きてはいけません。

夫は妻を信じ、妻は夫を信じています。

子供は親を信じて生きています。

親は子供を信じて生きています。

金があるから大丈夫と、貯金額をたよりにしている人は「金信心」ですし、

知識を力にする学者は「知識信心」です。

健康を自負するのは「健康信心」でしょう。

共産主義者は、共産主義という思想を信じている人たちです。

「科学が人類を幸福にする、宗教は要らない」と言っているのは、科学信心の人です。

神や仏を信じるだけが信心ではありません。

何かを信じておれば、それはその人の信心です。

 


その人が命として信じているものは、

それこそその人が、我が生きる目的、と思っていることであり、

その人の信心は、その人の人生そのものなのです。

 

 

 

 

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