親鸞に学ぶ幸福論

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いろはにほへと、ってそんな意味だったのか

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【諸行無常(2)】



先回から、「いろは歌」について話をしております。

今回は本題の1行目「いろはにほへと ちりぬるを」

漢字にすれば「色は匂へど 散りぬるを」についてお話いたします。



「色は匂へど 散りぬるを」の「色」とは「花」であり、

日本で「花」と一言で言えば、それは「桜の花」を指します。



されば「色は匂へど 散りぬるを」とは

「桜の花は今を盛りに咲き誇っているけれども、やがて散っていく

という意味です。

そしてこの一行で仏教の「諸行無常」を表しているのです。



「諸行無常」の「諸行」とはすべてのもの、

「無常」とは常がない、ということ。

この世の一切のものは変化する、続かない、移ろい変わっていく、

という仏教の説く真理を

「色は匂へど 散りぬるを」

と桜に託して詠っているのです。



この世の一切に永遠はありません。

必ずいつかなくなる、儚いものです。

健康も、人の絆も、地位や名声も、いつか失います。

私たちは、それが大切なものだと「これだけは続いてほしい」と切に願いますが、

どんなに続いてほしい、変わらないでいてほしい、と願っても、

諸行は無常です。

万古不変ということはありえません。



ただはかない一切のものの中でも

特に桜の花は「三日見ぬ間の桜かな」と言われるように、

あっという間に散ってしまいますので、

儚いものの象徴として日本人は数々の歌で桜を詠ってきました。



今も毎年桜ソングは春先になると巷に流れますが、

その歌詞の意味を探ってみると、

人の心の移り変わりや別れなどを桜にたとえており、

諸行無常を歌っているのがわかります。

そういう点から言うと、いろは歌は「元祖桜ソング」といえるかもしれませんね。



次回は「わかよたれそ つねならむ」についてお話しします。

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いろは歌に込められた仏教思想

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【諸行無常(1)】

 

いろは歌はよく知られています。

ーーーーーーーーーー

いろはにほへと ちるぬるを

わかよたれそ  つねならむ

うゐのおくやま けふこえて

あさきゆめみし ゑいもせす 

ーーーーーーーーーー

すべてのひらがなが重複することなく、

七五調の歌に収まっているところから、

日本では長らく文字の読みかけの手本として使われたので、

今でも初歩的なこと、基本的なことを表すのに

「そんなの経済学のいろはだぞ」などと使われますね。

 

いろは歌は有名ですから、その内容に関してはいくつもの解釈があり、

呪いの言葉だのユダヤ人先祖説だのいろいろありますが、

私は仏教の観点から今回お話しします。

 

いろは歌のその内容たるや、実に深遠な哲学です。

誰が作ったか読み人知らずの歌です。

空海でないかという説はありますが、

なんでも空海にするという空海伝説いろいろあって

このいろは歌に関しても、

私は内容から言ってもちょっと違うんでないかなと感じます。

とはいえいずれにしても僧侶か、

あるいは僧侶でなくても相当仏教を学び、伝えたいという意欲のあった人の作だと思います。

というのはこの「いろは歌」、

仏教をよく知っている人でないと作れない内容だからです。

 

私は日本に仏教を伝えたい、みんなに知ってもらいたいと思った誰かが、

苦心して作ったものだと思っています。

全てのかなを重複させずに七五調の美しい文章にまとめて

仏教の最も大事なところを簡潔明快に示したという点で、

「日本の後世に残したい」という筆者の意欲をひしひしと感じます。

 

そこで私としても、仏教に携わる者として、

いろは歌の内容を後世の日本人に伝承していきたいなと思い、

今回取り上げました。

 

漢字に直すと、こうなります。

ーーーーーーーーーー

色は匂へど 散りぬるを

我が世誰ぞ 常ならむ

有為の奥山 今日越えて

浅き夢見じ 酔ひもせず

ーーーーーーーーーー

漢字にすると、なんとなく意味がつかめてくるかもしれませんね。

これから何回かに分けて「いろは歌」の意味をお話ししてまいります。

 

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やまゆり園事件と座間9遺体事件に思うこと

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【人身受け難し(1)】

 

今年、衝撃的な二つの事件の裁判が行われました。

コロナ禍で大変な中で迎えた裁判でしたが、傍聴席は埋まり、マスコミも報道し、人々の関心の高さを窺わせるものでした。

その二つの事件とは、「相模原やまゆり園での障害者殺傷事件」と「座間市でのアパート9遺体事件」です。

やまゆり園という障害者施設で植松被告は「障害者に生きる価値がない」という思想で、19人もの尊い生命を奪いました。

また座間市での事件では、自殺募集のSNSに「一緒に死のう」と呼び掛けた白石被告により、9人の女性が命を絶たれました。

この二つの事件は、人々に「人命の尊厳とは何か」という人類の本質的な問いを強く投げかけるものでした。

 

「障がい者に生きる価値はない」との植松被告の思想。

白石被告の「君のつらい気持ちはわかる、死にたいよね、一緒に死のう」の呼びかけに心を許した女性たちの思い。

この思想や思いにドキッと胸を突かれた思いになった人は多かったと思います。

 

二つの裁判では、類いまれな異常な犯罪を犯した彼らに、被害者遺族が悲しみの声を訴えましたが、ついに彼らからの心からの謝罪は聞かれませんでした。

彼らの深い心の闇を何が変えることができるのか。

自分にもそんな闇の心はないか。

彼らはともにあまり力を持たない一個人でしたが、もし力のある政治家、資産家、科学者が彼らのような闇の心を持てば、今回の事件どころではない大惨事となります。

 

私は仏教を伝える者として、人命の尊厳を問うこのたびのような事件がおきると、自分の発信するメルマガやブログに仏教の視点を書いてきました。

以下は3年前の座間事件の時のブログです。

>座間の白石容疑者に惹かれた自殺願望の女性たち

 

こちらは4年前のやまゆり園事件の時と今年の裁判の時のブログです。

>相模原障害者殺傷事件の植松容疑者に正当性はあるか

 

これは裁判時に書いたものです。

>やまゆり園植松死刑囚に思うこと

 

さらに今回、これらの内容を動画でも話すことにしました。

>やまゆりえん事件、座間9遺体事件に人命の尊厳が問われている

 

ぜひ皆さんにも考えていただければと思い、煩瑣ですが、今までのブロブ、動画に目を通していただければありがたく思います。

 

医大の研修医に教えられたこと

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【精進(1)】


あることで医者に診てもらったところ、診察してくれたのが大学生の研修の医者でした。

その時感じたことを通してお話しします。

 

ご存じのように病院は待合室で長いこと待たされますので、手持無沙汰で何気なく「今週の○○科の担当医一覧」の表で、自分が診察されることになる医師を確認してみると、名前の横に(○○大学)とありました。

どうも診察してくれるのは大学生の研修医らしいとわかりました。

こういう制度もあるんだとその時初めて知ったのですが、呼ばれて診察室に入ると、確かに大学生っぽい風貌の医師です。

 

こちらが椅子に座る前から「○○です、よろしくお願いいたします」と初々しくあいさつしてくる姿が新鮮でした。

なんとなく私のイメージでは、医師は机のパソコンに向いていて、こちらが椅子に座って「よろしくお願いします」というと「はい」とぼそっと受けごたえして、その後の説明もぼそぼそっと始まるイメージがあったからです。

それからの説明もどこか気負いと緊張がある面持ちで説明してくれるのが気持ちよく、誠実さを感じ、慣れきった感のある医者より好印象を持ちました。

病気になったらこういう医師に担当してもらいたいなと思いました。

 

技術と経験も大事には違いないですが、人柄、好感度は大事だなあと、その研修医に教えられた思いがし、我身を振り返るご縁になりました。

私も仏教を伝える講師になってまもなく30年になりますが、慣れ切ってしまっているところがでてないかと、思いました。

若いときにはない経験値、対応も確かにできるようにはなりましたが、一回の講座のために何週間も前から丹念に準備して臨んだあのときの緊張感、気負いといったものは薄れていないか、大事なものを失ってしまってはいないか、と反省させられました。

 

 

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すばらしい結婚生活に必要なもの

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【因縁(1)】

 

ある弁護士さんのツイートが心に残りました。

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離婚事件をたくさんやってると、「素晴らしい結婚生活」をおくりたいなら、「素晴らしい相手」を見つけるだけじゃ足りずに、「自分も素晴らしい人」にならなければならないと思う。相手に求めるだけじゃ、どんなに素晴らしい相手でも結婚生活は壊れる。お互いの不断の努力があって初めて成り立つもの。
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離婚事件で多くの当事者と接している弁護士さんなので、言葉に説得力がありますね。

おそらく離婚調停で双方から、お互いが相手の欠点をあげつらい、非難し、「もっとパートナーが素晴らしい相手だったらこんなことにはならなかった」と散々聞くので、上記のツイートのようなことを感じられるのではと思います。

そしてこの弁護士さんの言われる言葉には、仏教の教えに相通じるものがあります。

 

仏教では「因と縁が和合して結果があらわれる」と説きます。

「因」とは自分の行い。

「縁」とは相手。

その因と縁がそろって我身に幸、不幸の結果が生じる、と教えます。

 

この場合、「素晴らしい結婚生活」という幸福(結果)が獲たいのなら、「素晴らしい相手」という(縁)も大事ですが、「自分も素晴らしい人」という行い(因)をしているか、ここが大事だということです。

相手に「素晴らしい相手」であるべきだと求めるだけでは、必ず結婚生活は壊れます。

なぜなら相手だけに求めるという言動自体が、幸せになれない行い(因)だからです。

「どこかにいい人がいないか」も大事ですが、「相手にとって自分はいい人だろうか」という視点が大事です。

「どうしたらあの人と結婚できるか」も大事ですが、「あの人と結婚してずっとうまくやっていける自分だろうか」という視点を忘れてはならないということです。

相手に求めてばかりの自己を律し、自分自身がよくなろうと努力を続けていくことが、幸せになる行い(因)であり、それを地道に継続していくことが「すばらしい結婚生活」(果)となるのです。

 

 

 

 

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火宅の不安を解決する方法

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【火宅(1)】


今までの人生を振り返れば、誰しも「あれは大丈夫だろうか」「これはなんとかなるだろうか」とさまざまな不安の中、生きてきたことと思います。

やれやれと一息つけても、決してそれは続かず、またすぐ次の憂鬱なこと、不安なことが起きてきて、ずっとその繰り返しだったのではないでしょうか。

今もその不安の中にいます。

「これからもずっと何かしらの不安を抱えて生きていく、こういう人生が続くんだろうな」と、そんな実感を持たれる方は多いでしょう。

 

不安な人生を何とかしたいと私たちは懸命に努力し、お金を手に入れ、家族を設け、健康に気を遣っています。

なのに未だに安らかな気持ちになれない。

そのうちふと「人生って何なのか」とモヤモヤしてきて、人生の本質に目を向け始める人もあります。

「不安を解消し、心から安らぎのある心になるにはどうしたらいいのか」

「安心に満ちた人生になるには何を獲たらいいのか」

 

その答えを明らかにするときにまず知らねばならないのは、「人はなぜ不安になるのか」です。

この不安の正体がわからないと、心の平安を手に入れることはできません。

この不安の正体を暴かれた方が2600年前、インドに現れたお釈迦さまでした。

仏教は私たちが自ら隠蔽している不安の正体を明るみにし、その上でその解決をする教えです。

 

 

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鬼滅の刃と仏教のただならぬ深い関係

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【阿弥陀経(1)】

 

「鬼滅の刃」が空前の盛り上がりを見せています。

この漫画にたびたび出てくるのが「阿弥陀経」です。

不死川玄弥が闘いの時に称えているのも「阿弥陀経」ですし、悲鳴嶼行冥の修行で滝に打たれる場面でも隊員たちが称えているのは「阿弥陀経」です。

「あれ、どんな意味なんだろう」と調べる子供もいると聞き、「鬼滅の刃」の力に感動しました。

なぜなら私は「阿弥陀経」に説かれていることを一人でも多くの人に伝えたいと思っているからです。

 

阿弥陀経とはお経の一つですが、お経とはお釈迦様が説かれた説法をお弟子が記録せられたものです。

お釈迦様が35歳の仏のさとりをひらかれてから、80歳でお亡くなりになられるまで45年間、説かれた教えを書き残したものですから、その数は膨大で、7千余巻に上ります。

その七千余巻の中でも特に重要なお経が三つありまして、その一つが「阿弥陀経」なのです。

 

数あるお経の中でも悲鳴嶼行冥や不死川玄弥は阿弥陀経を読むのは、それだけ大事なお経だからです。

今日、葬式や法事でもよく読まれるお経ですが、それもとても大事なことが説かれている大事なお経だからです。

 

しかし漢字ばかりで書かれているため、その内容を知る人はあまり多くありません。

そこで阿弥陀経にどんなことが書かれているのか、鬼滅の刃を切り口にYouTubeにアップしています。

作成したのは今年の3月頃、YouTubeを本格的に始めたばかりの時でした。

ある人気ユーチューバーからいろいろ教えてもらえるご縁があり、その彼から「鬼滅の刃は仏教との関連が多い、鬼滅の刃はブームだし、これからもっとくるから、今のうちに動画を作った方がいい」とアドバイスを受け、何しろ教えられたとおりにやってみようと作成したものでした。

それがこの映画公開のこの3週間くらいでまたグンと視聴回数が増えているのです。

おそらく鬼滅ブームはこれからも続くでしょうから、先見の明のあるありがたいアドバイスでした。

 

著作権問題があるということで、動画にイラスト、マンガを入れることができないので、自分で描いたイラスト入りです。

50歳にもなって鬼滅の刃を動画で作るとか、イラスト描くとか何やってんだか、と思う人もあるでしょうが、別に何言われてもいいです。
10のうち1でも功を奏し、親鸞聖人の教えを伝える一助になるなら、これからでもいろいろ挑戦していきます。

よかったら「鬼滅の刃&阿弥陀経」動画、ご視聴くださいませ。(チャンネル登録いただくと、とってもうれしいです)

>>鬼滅の刃と仏教

 

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