親鸞に学ぶ幸福論

「そんなにしてまでなぜ生きねばならないのか」はっきり示した、メールdeで学ぶ仏教教室です。無料メール講座が好評です。受講者4000人。

インターネットでの情報発信を直ちに覚えよ

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【説法(1)】


私はインターネットで仏教の内容を発信しているので、

ネットのことはくわしいと思われているのですが、

知る人ぞ知る、私はネットに苦手意識を持っている人間です。

今もワードやパワーポイントはろくに使えず、

スマホを持ったのもつい1年前で、

アマゾンや楽天で購入することもまれで、

スマホ決済も面倒くさいですし、

ネット全体が好きではありません。



しかし必要に迫られれば人間身につけられるもので、

ワードプレスを学び、しょぼいなりに動画編集もでき、

初歩的なプログラミング言語もわかるようになってきました。

今、私は52歳なのですが、それら45歳以降に学んだことばかりです。

今やググればていねいに教えてくれる人がたくさんいますし、

妻が動画編集にくわしかったことも有り難かったです。



ネットで何かしようとすると、その都度トラブルが起きて、

億劫で、面倒で時間ばかりかかってイライラして仕方ないのですが

一度身につけると人生変わります。

何よりも根気よく調べれば必ず答えが見つかるとわかったのが大きいです。



さて何が言いたいかといえば、

ネットの苦手意識は1年で克服できますが、

そのネットで伝える内容を身につけるのは10年かかる、ということです。

最も時間がかかるのは伝える内容です。



たとえるならネット技術を身につけるというのは、

仏教講師である私のような情報発信する職業・立場の人にとって、

今まで弓矢で狩りしていたのを鉄砲に変えたみたいなものです。

弓を鉄砲に変えたら圧倒的に結果が変わるように、

私にとってネット技術を身に着けたということは

著しい変化をもたらしました。



だから特に人に伝えたいことがある人、特にその伝えたい内容が、

ある一定の人にとって聞きたい内容だった場合はなおさら、

ネットの情報発信をしないのがもったいなくて仕方ないと思うのです。

「伝えたい内容が、ある一定の人にとって聞きたい内容である」

と言いましたが、

そういう内容を届けられる人が本当に少ないのです。

そういう内容を学び、習得し、伝えられるようになる方が

ずっと時間がかかり、労力のいることです。

そういうものを持っているのに、ネット技術を知らないとしたら、

これは何ともったいないことかと思うのです。



今まで弓矢で狩りをしていた人が鉄砲技術を習得したとします。

すると今まで弓矢での狩りで培ったノウハウは全部、鉄砲猟に活かせます。

どこに獣がいるか、とか、山の地形とか、天気はどうなるとか、

狩りで必要な知識やスキルは鉄砲に変えても全部無駄にならず、

すぐに優れた鉄砲の狩人になれるでしょう。

狩人としての経験値が高い人ほど、鉄砲のスキルを身につければ、

その実力は何倍にもなって効果が発揮されるのです。



鉄砲のスキルを身につけるのは大変だと言っても、

狩人として今まで習得してきたことと比べれば何でもないことです

狩人の経験値こそ何十年とかけねば身につかないもので、

それと比べれば鉄砲のスキルは「簡単」です。

逆に鉄砲のスキルがどれだけあったって、

狩人の経験値のない人はもう獣が捕れません。



譬えを用いたのでかえって回りくどくなったかもしれませんが、

一言でいえば、自分の伝えることは希少であり、

知れば喜ぶ人が必ずいる、という誇り、自信のある人なら、

年齢とか苦手とかごちゃごちゃ言っていないで、

早くネットを活用しなさい、と言いたいのです。

 

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浄土真宗は仏教といっていいのか

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【浄土真宗(1)】


「浄土真宗は仏教なんでしょうか」という質問を時々受けます。

私は専門は浄土真宗なので、このような質問をしてこられるのでしょうが、

こう質問してこられる方はたいていちょっと仏教を学んでおられる方です。



浄土真宗、親鸞聖人の教えを学んでいきますと、

仏教の教えをある程度学んだ人が

「いや、ちょっと待てよ…。こんな教え、聞いたことないぞ」

と戸惑われることがあるようです。



それは今日だけではありません。

親鸞聖人がおられた時からそうでした。

当時の日本の仏教界に親鸞聖人の教えはあまりにも衝撃的で、非難の嵐が巻き起こっています。

僧侶には固く禁じられていた肉食妻帯を断行され、「破戒僧だ」と総攻撃を受けられています。

仏教を破壊する仏敵だとまで中傷されました。



親鸞聖人の教えられた、その常識破りの衝撃的な内容に、

「本当にこれが釈迦の教えとはとても思えない」

と唖然とした人がいたのもわかります。



たとえば煩悩が苦しみの原因であり、この煩悩の火を消し、悟りを開くのが仏教だ

と皆思い込んでいたところに親鸞聖人は

「煩悩あるがままで救われる仏の救い」を明らかにされています。

煩悩や執着、我執が苦悩の根元ではないと言われたのです。

これは「その心と向き合って何とか抑えたい、なくしたい」と励む多くの仏道修行者には

青天の霹靂だったに違いありません。



また有名な歎異抄には「善人なおもて往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」とあります。

「善人でさえ救われる、ましていわんや悪人はなおさら救われる」

と親鸞聖人がおっしゃったお言葉です。

仏教は善功功徳を積んで修行して悟りを開く教えだと思ってる人からすると、

悪人こそ救われると説かれた親鸞聖人は仏教の教えと真逆ではないかと思う人がいても無理もありません。



親鸞聖人の教えは深遠で、なればこそ誤解しやすい所があります。

重ねて聞かないと、なぜ親鸞聖人の教えがブッダの教えそのものであるか、なかなかわかりません。



しかし親鸞聖人の教えこそがブッダの真意なのです。

なんでそう言えるのか、ここをこそよくわかっていただきたい、

特に浄土真宗の門徒の方には知っておいていただきたいと、最近新しいコミュニティ『令和御坊』で

あらゆる角度からお話ししています。

以下のユーチューブ動画は『どうすれば絶対の幸福になれるのか』というテーマで話をしたもので、

最後の方で令和御坊の紹介もしていますので、

関心ある方はご視聴ください。

https://www.youtube.com/watch?v=hEFy3rxbD2I&t=961s

 

人生はBとDの間のCである

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【自業自得(1)】


「人生はBとDの間のCである」(ジャン=ポール・サルトル)

人の一生は「Birth(誕生)」から「Death(死)」の間の「Choice(選択)」で決まる、というサルトルの言葉です。

 

サルトルの喝破したとおり、人生は選択の連続です。

目覚まし時計で目を覚ませば、一日のスタートから選択が迫られます。

布団から出るか、それともそのまま布団で寝続けるか、という二者択一です。

その後も、朝ご飯は食べるかどうか。

食べるとしたらパンかご飯か。

着ていく服装はどうするか。

毎日みな多くの選択を繰り返して生きているのです。

 

一日の使い方も、仕事するか、人と会うか、本を読むか、自分が選びます。

家でごろごろして一日終えた人は、多くの選択肢の中から、

ごろごろするという選択肢を選んだ人です。

日常生活の全て、本人の選択の結果なのです。

 

時には「就職」「結婚」「転職」「離婚」など、大きな選択を迫られることもあります。

周りはアドバイスをしますが、その声を聞く聞かないを決めるのも自分です。

人ではありません。

「いや、強制的にこちらを選べと言われたんです」

と誰かのせいのように言う人がありますが、

その人の言うことを聞かないという選択肢もあったはずです。

その人の言うことを聞かないと都合が悪いと判断しているのは自分です。

その強制的な意見を聞くくらいなら、都合の悪い道を行く選択もあったはずです。

 

あなたを現在の境遇に追い込んだのは、過去のあなたの選択であり、

あなたの未来を切り開くのも、あなたの今からの選択です。

 

ここに覚悟を決めなさい、というサルトルの言葉が

「人生はBとDの間のCである」

なのでしょう。 

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オプションB  窮すれば転ず

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【精進(2)】


先回は、登山家が山で不測の事態が起き、

計画していた登頂ルートが難しいと決断したら、

すぐさま違うルートを探すことを話をしました。

彼らは登山の目的は「頂上」であって、

「この登山ルートでなければならない」ということではないと知っているからです。

 

ビジネスの世界でも「オプションB」という本が話題です。

オプションBとは次善の選択肢のことです。

「当初の選択肢(オプションA)」がだめなら、

「次の選択肢(オプションB)」がある、というテーマの本です。

 

諸行無常の世の中ですから、最善の道と計画していたオプションAがダメになる、という事態は起きます。

生きていれば誰だってそういう挫折に遭遇します。

そんな時考えるべきは『次にどうするか』です。

完璧な人生なんてあり得ないのですから。

だからみんな、なんらかの形の『オプションB』を選ぶ時があります。

 

登山でも、思い切ってルート変更したら結果的により早く頂上につける、ということはいくらでもあります。

人生も同じです。肝心なのは頂上(幸福)に至ること。

「あの人があの道だったから自分も同じ道を行かなければならない」

というものでもありません。

頂上(幸せ)までの道はいろいろあるのです。

 

「窮すれば転ず。転ずれば通ず」

窮した時は、新たな道を発見するチャンスともいえます。 

 

 

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登山ルートは一つではない

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【精進(1)】

 

「もうだめだ」と挫折した時、私たちはどう立ち直ればいいのか、

登山家の姿から学ばされます。

 

登山家は、どの登山ルートにするか、どこで野営をするか、

用意周到な計画を立て、万全な準備の下に出発します。

ところが山の天気は変わりやすく、

雪崩や落石など不測の事態も起き、

当初決めた登山ルートを断念せざるを得ないケースも多々あります。

そのとき登山家の決断は早く、

この登頂ルートは難しいと決断したならば、すぐさま違うルートを探します。

「とてもこの道は登れない、もう俺はだめだ、せっかく計画を立てたのに」

とその場でひざをかかえて絶望する登山家はいません。

彼らは登山の目的は「頂上」であって、

「この登山ルートでなければならない」ということではないと知っているからです。

 

私たちの人生も決して一つのルートではありません。

「挫折した」とは「この道はこれ以上無理だ」ということであって、

ほかの道はまだまだあります。

肝心なのは頂上(幸福)に至ること。

思い切ってルート変更したら結果的により早く頂上(幸福)につける、ということはいくらでもあるのです。

 

このたびの東京オリンピックでもそうです。

メダルを目指して満を持して臨んだものの、予選敗退したアスリートもいました。

マイクを向けられながら「信じられない」と顔面蒼白の姿が痛々しかったですが、無理もありません。

5年間周到な準備を積み、臨んだ舞台だったのですから。

 

しかし挫折してもそれをばねにまた3年後のパリで飛躍するかもしれませんし、

アスリートとしては年齢的にこれで終わりだとしても、

人生はまだまだずっと長く、この度の挫折がきっと生かされるときもあるはずです。

 

 

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嫌な仕事を押し付けられたときの対処法

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【意業(2)】


上司や得意先から何かを依頼され

「それは嫌だな」「やりたくないな」と思うことは

誰でも経験があると思います。

そんな時、

「なんでオレに押しつけるんだ」

「なんでこちらの立場を考えてくれないんだろう」と、

不平不満の気持ちになりますが、

いつまでもそんな嫌な気持ちで仕事をしていると、

いい仕事はもうできません。

依頼した方もいやいやしているのを察するので、

人間関係が悪くなります。

そして何よりも、仕事をしている本人自身が楽しくないです。



とはいえ、組織の一員である以上、断ることも難しいですよね。

NOと言える人になれ、とはよく言われますが、

現実そうはできないことが多く、

多かれ少なかれ、こういうことでみな苦しんでいます。

こういった悩みは自分には無関係だ

という人はいないのではないでしょうか。



では嫌な仕事をするときに大事なことは何かといえば、

まず自分自身に

「これを自分のプラスに持っていけないだろうか」

とあえて問いかけてみることです。



すると案外なことに、たいていは自分の仕事にプラスになり、

前向きに取り組める道が発見できるものです。

考え方を変えた瞬間に嫌だと思った仕事も嫌でなくなり、

喜んで引き受けよう、

いやこれは好機到来だ、

と心が一変することだってあります。



その辺りをお話しした動画がこちらです。

ご視聴ください。

https://www.youtube.com/watch?v=ohk2mRtXp9A

 

 

 

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心一つに無限の可能性

 

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【意業(1)】

運動不足解消に家から車で30分ほどのところにある山城を何回か歩いています。

室町時代の山城で、上杉謙信も「元来嶮難之地」とその堅固な要塞ぶりを称えており、越中三大山城に数えられている史跡です。

私も行ってみて初めて、こんな史跡が近くにあったのか、と感嘆した次第で、

一の丸の頂上まで登ってみましたが、

「この七曲りの険しい道を謙信の軍勢が攻め登ったんだな」

「この曲輪で矢を放ったり、石を落としたりしたらたまったもんじゃないよな」

「ここが家臣の家の跡か、城主とどんな関係だったんだろうな」と、

歩いてみるといろいろ想像が膨らんできて、何しろ楽しかったです。



それでもう一回、今度は妻と一緒に歩いてみたのですが、

私は先回同様、いろいろ見まわしては楽しいのですが、

妻はさしたる感銘もないただの散歩といった様子です。

今度からは誘っても「私はいい」と言われる始末。



そこで先日、今度は歴史好きな友人を連れてその山城に行き、

あいにく雨が降ってきて、途中で引き返したものの、

友人は「へー、ここは」と目を輝かせてまして、

彼は「定年退職後はこういった山城を歩いて文献探して歴史小説でも書きたいな」とまで喜んでいました。



私は歴史好きだからこういうことを楽しめるのですが、

カメラマンなら街でも山でも歩いて回るのがとても楽しいでしょうし、

たとえば「画壇の仙人」と言われた画家の熊谷守一氏は、

庭の昆虫、花や石など身近なものをモチーフに、面と線だけで構成された独特な画を多く残しましたが、

「たとえ監獄でも石ころ一つを見ていれば、何ヶ月でも暮らせる」と言っています。



これはあるお笑い芸人から聞いたことです。

雨が降ってきたので、傘を開いたところ、大きく破れており、使い物にならなかった、とのこと。

こんな時、普通の人は「ついてない」と不快になりますが、笑いのネタを常に探しているお笑い芸人にとっては

「これは自虐ネタに使えるかも」

とワクワクしてきて、頭が高速回転を始めるとのこと。

多くに人が嘆く出来事も、笑いに変えるプロ根性に感嘆します。

「笑いにしなければ、オレの不幸が浮かばれない」と言っていました。



刺激の多い、ワクワクした環境にするのに、

どうやら風光明媚な観光地も、アトラクション満載のテーマパークも要らないようです。

心一つに、人生を豊かにする無限の可能性が秘められている、といえましょう。

 

 

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