【親鸞は弟子一人も持たず(1)】
「親鸞は弟子一人も持たず候」
“親鸞には一人の弟子もない”
この一節は、歎異抄に記された親鸞聖人のお言葉です。
八百年後の今日なお多くの人から尊敬される親鸞聖人に、
当時、心より信じていたお弟子がなかったとは考えられません。
事実、数々の史料、文献からも、親鸞聖人に親しく教えを受けてた数多くの門弟の名が記されています。
特に真仏房、性信房、唯円房など「関東の二十四輩」は、幅広い活躍で知られています。
これらのお弟子たちは皆「私の師はこの方において他はない」と、
親鸞聖人に深い尊敬の念を持っていたことでしょう。
ではなぜ親鸞聖人は「一人の弟子もいない」と宣言されたのでしょうか。
聖人のこのお言葉は、決して歴史的事実を言われたものではなく、
自らを慕い、集う人たちを、決して自分の弟子だとは思っておられなかったことの告白なのです。
どうして聖人は自分の弟子だとは毛頭思えなかったのか、その理由を親鸞聖人はこう仰います。
「親鸞、さらに私なし。弥陀の本願を、我も信じ、人にも、お伝え申すばかりなれば、何を教えてか弟子と申そうぞ」
ここで親鸞聖人が「親鸞、さらに私なし」と仰っているのは、
“親鸞の教えていることに、自分の思いや考えは一切ない”と仰ったお言葉です。
では何を伝えておられるのですか、と聖人にお聞きすると
「阿弥陀仏の本願を私も信じ、皆さんにもそのままお伝えしているだけですよ」と仰います。
生涯、阿弥陀仏の本願一つを伝え続けられた方が親鸞聖人でした。
“自分の思いや考えを教えて、人を幸せに導いているのなら、私の弟子ともいえよう。
しかしそんなことは一切ない。
共に阿弥陀仏の本願を聞かせていただいているだけなのだから、私の弟子などといえる人は一人もいないのだよ”
この聖人の強い自覚が「親鸞には一人の弟子もない」の表明だったのです。
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