親鸞に学ぶ幸福論

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「死んだらどうなるか」知らない世界への不安

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【生死の一大事(1)】


「死んだら私はどうなるんだろうか」

こんな問いを考えられたことがありますでしょうか。

お釈迦さまはこの問いこそ万人が答えを出さねばならない大問題だと教えられ、

これを「後生の一大事」と説かれています。

 

「一大事だって?オレはそうは思わん。死んだら死んだ時さ」

「そんなことを考えたってつまらん話だ。答えなんかわかるはずないから。死んで帰ってきた者があるかい」

と笑い飛ばす人もあると思います。

一大事どころかつまらぬ小事、関係ないこと、どうでもいいこと、と受け流す人です。

 

ところが「死んだら死んだ時さ」と死ぬことには関心を払わない人も、

「老後になったら老後になった時さ」とは言いません。

老後の蓄えはしっかり忘れず、

年金や介護保険にも強い関心を持ち、

健康寿命が少しでも長引くよう、日々の運動も欠かしません。

先の参院選でも金融庁が2000万円の貯蓄が必要だと言ったことに世論が動揺し、

各党の演説も老後の生活に言及したものが多くありました。

老後なんかどうでもいい、老後になったら老後になった時だ、と演説する政治家があれば、

なんて無責任でいい加減な人なんだとレッテル貼られ、当選できなくなりますので、

そんなことを言う人はありません。

 

では「なぜあなたはそんなに老後を気にするのか」と人に問えば、

どう返ってくるでしょうか。

「やがてやってくる将来のことだから、考えて当然だ」

と答えるでしょう。

 

でも考えてみてください。

若くして死ぬ人もありますから、老後はすべての人の確実な未来とはいえません。

万人の確実な未来を問題にするなら、「老後」よりも「死」です。

「死」は100パーセント確実な未来です。

ならば「死んだらどうなるか」は、

老後よりもはるかに重大な問題になって当然ではないでしょうか。

 

有るやら無いやら分からぬ「老後」のことさえ心配するのに、

何人も絶対に避けられぬ「死んだらどうなるか」の大問題は考えようともせず、

「死んだら、死んだ時さ」で済ませているのは、どうしたことでしょうか。

 

所詮、死後の世界のことなど人間の知恵で考えたところでわかりっこないのだから、

どうなるものではない、とあきらめてしまっているのでしょうか。

「老後は対策立てれば明るくなるので考える意味があるが、

死後は考えて分かることでないのだから、

わからないことを考えたって仕方ないでないか」

との意見はよく分かります。

 

しかし「仕方ない」で片付けられない心があるのもまた事実です。

どんなにあきらめようとしても

漠然と胸を去来する不安とむなしさはどうしようもありません。

人類はその不安とむなしさを紛らわそうと、

政治、経済、科学、医学、芸術、スポーツなどに明かりをつなぎますが、

その明かりは決して続かず、線香花火のように一時的で、

先の見えない孤独な道を一歩一歩進むその旅路から脱出できないままでいます。

 


「死んだらどうなるか」未知の世界に入っていく底知れぬ不安を、

何かでごまかさなくては人は生きておれません。

死の恐怖は、ふだん幾重にも厚いベールに故意に隠されているのです。

隠されていると聞くと隠す第三者でもいるのかと思うかもしれませんが、

もちろん自分自身で隠そうと努めているからです。

文明文化の進歩と言っても、死の底知れない不安のごまかし方の変化に過ぎません。

 

この生死の一大事に真正面から目を向け、その解決を迫る教えが仏教です。

生死の一大事とはどんなことか、もっとくわしく知りたい方はこちらまで

生死の一大事とは

 

 

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