親鸞に学ぶ幸福論

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トルストイが命をかけて欲したもの

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【生きる意味(1)】


「トルストイの如きは日本の法然や、親鸞の宗教を知ったら、誰よりも先に随喜する人ではなかったかと思うのだ」

『出家とその弟子』で知られる作家の倉田百三の言葉です。

倉田百三はこう書き残した心情をよく知るには

トルストイが求めたことは何だったのか、

また法然・親鸞両聖人は何を教えられたか、

ということがわからなければ、理解することはできません。

 

19世紀を代表するロシアの小説家、トルストイは、

30代から40代にかけて『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』などの名作を世に出し、

文豪としての地位を不動にしました。

ところが世界的名声を得たその頃から人生の無意味さに苦しむようになり、

それは自殺を考えるまで激しいものでした。

その精神的懊悩を彼自身が告白したのが『懺悔』という随想録です。

 

「私はつねに人生の意義の探究に向かって突き進んだ」と始まる『懺悔』は、

「人はなぜ生きるのか」の解答をあらゆる人間の知識の中に求めたトルストイの探求の記録です。

しかしその結論は

「“人生は無意味である”いかなる哲学をもってしても、この1行は改めえなかった」

と敗北の弁で終わっています。

 

『懺悔』でトルストイは、人々の生き方は四通りだった、と記しています。

一つは「無知無識の道」。

人生が無意味だと知らない人たちだ、と言っています。

二つは「快楽の道」。

人生の無意味さに感づきながらも直視せず、享楽にふける人々です。

旧ロシアの貴族であったトルストイの友人にはこういう生き方をしている人が多かったようです。

三つは「自殺の道」。

生が悪であり、無意味であることを知り、絶望する人です。

トルストイは、「強いしっかりした性格の少数の人が、こういう生き方をする」と言っています。

四つは「弱気の道」

すべてを知りながら、自殺する力もなく、ぐずぐずと、ただ生きている人たち、とし、自分もその中に入ると言っています。

「この生き方は、私にとって実にうとましかった」と書いています。

 

ところがトルストイは晩年になり、いよいよそのうとましさに我慢できなくなったのか、

82歳で世俗を一切断ち切って家出をしているのです。

家出から4日目、田舎の駅で肺炎で死亡しているのが発見されています。

今日、その駅は彼の業績を讃え、トルストイ駅と改名されていますが、

それでトルストイの虚しい心が満たされるとは思えません。

彼の心底知りたかったのは

「なぜ人は生まれ、生きているのか」

まさにその明確な答え一つだったのですから。

 

そしてそのトルストイがどうしても知りたかった生きる目的の明確な答えをはっきりと示されたのが、

法然上人であり、親鸞聖人なのです。

倉田百三は親鸞聖人の書き遺された『教行信証』、

また親鸞聖人の言行が書き遺されている『歎異抄』に、

トルストイが野垂れ死にしようとも辞せぬ覚悟で求めた「生きる意味」の答えがここにある、と直感したのでしょう。

だからこそ先述のように

「トルストイの如きは日本の法然や、親鸞の宗教を知ったら、誰よりも先に随喜する人ではなかったかと思う」

と書き遺したのであり、また『歎異抄』をこうも評してます。

「ニイチェでも、トルストイでも、ボードレールでもこれを読んだら驚くだろう。

トルストイの如きは82歳の家出後に於て、死なずに、これを読んだら、

更に転心して念仏に帰しはしなかったであろうか」

 

 

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