親鸞に学ぶ幸福論

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石川五右衛門辞世の句「石川や浜の真砂は」

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【貪欲(1)】

 

「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」

石川五右衛門の辞世と伝えられる歌です。

“川浜の砂がたとえ尽きることがあろうとも、この世の中に盗人がいなくなることはない、

なぜなら盗人の種が尽きることがないからだ”という意味です。

ここでいう「盗人の種」とは、人のものを盗みたいという心のことです。

奪ってでも、盗ってでも自分の物にしてしまいたいという欲の心が

人を泥棒という犯罪に走らせるのですから、

まさにその心は「盗人の種」です。

 

天下の大泥棒と知られる石川五右衛門は

武将の城に忍び込むその大胆で勇敢な盗みの手口から泥棒界の英雄となり、

五右衛門にあこがれ、泥棒稼業を目指す若者も現われる始末で、

ときの為政者は、このまま五右衛門を野放しにしていては都の治安はよくならないと

威信をかけた大捕物を断行した末、ついに五右衛門は逮捕されます。

第2,第3の五右衛門を生まないよう、

この男だけは泥棒にあこがれる若者がこりるような処刑をしなければ、と考えた政府は

五右衛門をあの有名な「釜ゆでの刑」に処します。

大きな釜で茹で殺したと伝えられ、今に五右衛門風呂として知られます。

 

さてその釜ゆでの刑に処せられる際、五右衛門が詠んだとされる歌が、

「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」です。

“オレをみせしめにしてこの世から泥棒をなくそうとしたって、この世から泥棒はなくならないぞ、

なぜなら人間の心の中に、誰にも知られなければ盗んでしまえ、

捕まらなければ人の物も盗ってしまえという欲の心があるからだ”

と詠んだ歌です。

 

石川五右衛門の予言通り、五右衛門処刑後も泥棒が絶えることはなく、

あれから400年以上経った今日もそれは変わりません。

当時の日本よりずっと法整備もされ、警察機構もしっかりし、防犯対策も向上していますが、

やはり窃盗、強盗、詐欺、などの犯罪はなくなっておらず、

石川五右衛門の予測は当たっていると言わざるをえません。

 

法律を整備すると、その法の抜け道を見つけてまた人をだまそうとする者が現われる。

それで法を改訂して抑止しようとすると、そのまた法の盲点を突く犯罪が出てくる。

いたちごっこです。

科学が発達し、その技術が防犯に生かされても、

盗む方も先端科学を利用し、新たな盗みのやり口を生み出します。

お金やカードを持ち歩くと盗まれるのが心配だからとネットバンキングを利用すれば、

ハッキングされ、口座のお金が盗み取られる犯罪もあり、

住所が特定されないよう、個人情報保護法を設定しても、

瞳に映った景色からその人がどこに住んでいるか特定するストーカーも出てきています。

カードナンバー、パスワードは盗まれる心配があるからと、最近では指認証システムが導入されますが、

ピースサインの写真からその人の指紋も復元し、指認証をパスする犯罪も出てきてます。

 

政治、経済、科学、医学と、どれだけ世の中が変化しても、

人間の心が変わっていないので、

犯罪がこの世からなくなることはないのです。

 

 

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