【因果応報(1)】
親鸞聖人は「卜占祭祀をつとめとしている」ことを
「かなしきかなや」“嘆かわしいことだ”と書き残されています。
「卜占(ぼくせん)」とは占いのことです。
昔も今も占いにすがる人はあとを絶ちません。
「今日の運勢」や「ラッキーカラー」「星占い」「タロット」「手相」「墓相」など、
色々な種類があります。
「この人は自分にとってどんな存在なんだろう」
「この人と結婚したら私は幸せになれるのかなあ」
「もっと違う運命の人が実はいるのかなあ」
「どの株の銘柄が上がるんだろう」
「今、起業するタイミングだろうか」
このように先のことをみな知りたいと思います。
見通し明るくなれば、安心しますから。
でも先のことだから、誰もよくわかりません。
そこに断言口調で、確信に満ちた目で、将来を言い切る人がいると
つい選択権をそこにゆだねてしまうのでしょう。
わたしはこのメルマガで時々占いを否定する内容を書きますが、
そうするとメルマガを解約する方が現われるので、
占いをよりどころにしている人が多いのは感じています。
同じ未来を予測するのでも、天気予報や株価予想は占いとはいいません。
天気予報なら気象衛星の情報により計算して予測しているのであり、
株価予想もチャートの変動、過去の情報、世界情勢などのデータを基に予測する合理的な判断が重視されますが、
占いは誕生日や星座、手のしわ、その時ひいたタロットなど、
因果関係のないものを未来の運命に関係づけるもので、学問的な根拠を持ちません。
ではお釈迦様は運命についてどう説かれているでしょうか。
「あなたが自分の未来の運命を知りたいなら、現在の自己の心の向きと言動に注視しなさい」と言われています。
以下はその文証です。
「未来の果を知らんと欲すれば、現在の因を見よ」(因果経)
未来の果(将来どんなことが我が身の上に起きるか)は、現在の因(今の私の心がけ、そして言動)が造る
みな未来を知りたい、そしてよい未来であって欲しいと願っています。
そう願うなら、現在の自己を見つめなさい、そして幸せの花が咲くよい種をまきなさいよ、
と説かれているのが仏教です。
その仏教の教えに基づき、
「手相」「墓相」「誕生の月日」「くじ」などの卜占(うらない)を迷信と否定されたのが親鸞聖人でした。
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