親鸞に学ぶ幸福論

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説得とは、得を説く、と読む。決して押しつけてはならない

 

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【自利利他(1)】


先日報道されていたことです。

あるコンビニのオーナーが、元日は営業しないという意思を本社に伝えました。

アルバイトが集まらず、客も少なく、とても自分の身体が持たないからというのが理由でした。

本社は、それは契約に反する、とさっそく社員に「オーナーを説得してこい」と命じました。

ところがオーナーは頑なで、説得に応じないとのこと。

最近よく話題になるコンビニ長時間労働問題です。

 

さてこの報道でも出てきた「説得」という言葉、あまりいい響きがありません。

「説得する」立場でも疲れるし、嫌われるし、

「説得される」立場ならおもしろくないし、憂鬱になるし、で、

できれば説得するのもごめんだし、説得されたくもない。

そう思ってしまうのは、「説得」と聞くと、

相手をこちらの意図通りに動かせるためにあれこれ話をする、

というニュアンスがあるからでしょう。

 

本来「説得」とは、字の意味からいうと「得を説く」、

“相手が得をすることを私が説く”ということです。

誰だって得する話なら聞いて悪い気になる人はありませんし、

行動しようという気になります。

ところが“私が得することを相手に説く”ことに躍起になって

それが説得だと思っている人が多く、

それではどんなに言葉巧みに流ちょうに話をしていても、

相手の気持ちは動きません。

嫌な感じを与えるだけです。

たとえその時は相手を動かすことができても、

禍根を残したり、裏切られた思いにさせてしまいます。

 

商売でも、ついつい

「どうやったら相手の財布のひもが緩むか」

「相手にどうやってこちらの商品を認めさせるか」

ばかりに頭がいっぱいになりますが、

それは客のお金や時間や気持ちをこちらに引っ張り込もうとすることなので、

客からしたらおもしろくなく、結局上手くいきません。

 

相手が動くのは「相手の得を説いて、それをわかってもらえた時」です。

相手の得を少しも考えることができない人に、人は集いません。必ず離れていきます。

逆に相手の得を説き続ける人には、たとえ口下手でも不器用でも、必ず人が集まり、

十年後はその人の周りに人垣ができています。

利他の精神(相手を思いやる気持ち)が、古今東西変わらぬ成功の秘訣なのです。

 

 

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