【三業(2)】
心で思ったことが口に表れ、体に表れる、だから心が一番大事である、
と仏教で説かれていることを前回から話をしています。
今皆さんがこの文章を読んでおられるのは体の行いですが、
読もうと思ってクリックした、その読もうと思われたのは心の行いです。
この文章を読んでおられる今も、
心がこの後も読もうと思われているから、今この文章を読んでおられるのです。
読もうという心がなかったら、たとえ途中まで読んでも、クリックして違うページに飛んでしまうでしょう。
今私がこうしてこういう文章を書いているのも、
心でこういう文章を書こうと思って書いているのです。
心で思わないことが体に現れることはありません。
今年一年どんな本を読んだか、どんなテレビ番組は見たか、どんな人とどんな話をしたか、
もっと言えば、今自分の住んでいるところも、している仕事も、結婚相手も、
その一切は自分の心が決めたことです。
心がすべての元であり、何事も心にこそ根本的な責任があるのです。
口や身体は心の奴隷といえます。
あえて奴隷と表現したのは、心と口や体の関係は絶対服従の関係だからです。
麻原彰晃こと松本智津夫が引き起こしたオウムサリン事件で、
事件の実行犯は彼の弟子たちであり、まだ20代の若者たちでした。
彼ら実行犯は地下鉄でサリンを撒き、多くの人を殺傷したのですから、
重い罪に問われなければなりませんが、
その犯行を命じた松本智津夫は、実行犯以上に重い罪をに服さなければならないのは当然です。
松本智津夫が「オレは自ら手にかけて殺したことはない、あれは実行犯がやったこと」と抗弁しても
それは通用する話ではありません。
彼が命じなければ実行犯はああいう恐ろしい事件を起こさなかったのですから。
自ら手にかけた実行犯ももちろん恐ろしいですが、
彼らをそうさせた首謀者である彼は、もっと恐ろしい罪を犯したのです。
よってその刑罰を受けなければならないのも当然です。
自分が直接手にかけて殺したのではないのだから罪がない、
と言い逃れが通るはずがありません。
口で言って人を傷つけたその言葉も、
身体でやって人に迷惑をかけたその行動も悪いのですが、
そのように言わせた心、そのようにやらせた心、
そこにこそ最も恐ろしい元凶があるのです。