【因果の道理(1)】
「桃栗三年柿八年」という言葉があります。
その後に続く言葉は地域によって違うそうですが、
私の故郷バージョンでは「梨の馬鹿やろ十六年」でした。
米(コメ)は春に植え、ひと夏越えて秋になれば、収穫できますが、
桃や栗の場合、苗木を植え、せっせと世話をしても、1年では実をつけません。
2年がんばって育てても、木は少し太くなるものの、「実」という成果はありません。
3年心をかけて世話をして、ようやく実を少しつけるのです。
柿の場合はもっと大変です。
5年、6年と努力を続けても成果はありません。
「もう今度で7年目になる、今度実らなかったらもうやめよう」
とやってみたものの、やはり結果が出ない。
「もうどれだけやっても無駄なんだ、無駄な努力を続けてきたものだ」
と投げやりになって止めてしまう。
あと1年続ければたわわに実る果実を収穫できたというのに。
7年続けても、8年目を前に辞めてしまえば、
目に見えた結果を得ることができません。
すぐに結果が出ないからと、イライラしたり、焦ったり、
挙句の果ては結果を急ぐあまり、横車を押すような真似をして人生を棒に振る人もあれば、
投げ出したり、辞めてしまう人も数知れず、
その愚を戒めたことわざが「桃栗三年柿八年」なんでしょう。
ドリカムの「何度でも」にもこうあります。
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10000回だめで
かっこ悪くても
10001回目は
何か変わるかもしれない
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発明王エジソンはこう言います。
「失敗ではない。うまくいかない1万通りの方法を発見したのだ」
「私たちの最大の弱点は諦めることにある。成功するのに最も確実な方法は、つねにもう一回だけ試してみることだ」
ミケランジェロはこうです。
「私がこの作品にどれだけの労力を注ぎ込んだかを知れば、誰も天才なんて呼ばないだろう」
もしかしたらあなたが育てている果実は桃や栗でもなく、
柿や梨かもしれず、
あるいはもっと年月がかかるものなのかもしれない。
よくビジネス書には「努力する前に、結果の出るところを選ばねばならない」とありますが、
あなたが何が何でもその果実を食べたいのなら、
その道に人生をかけたのなら、
そんな外野の意見は無視して、
何年かかっても、何十年かかっても、それで人生終わってもいい、と覚悟して貫き通すことです。