親鸞に学ぶ幸福論

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人生の最後に孤独を知る

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【独生独死独去独来(3)】


重篤に陥った60代のコロナ患者が回復した後にこんなコメントを残しました。

「ICU(集中医療室)に運ばれ、人工呼吸器を装着され、

呼吸困難で意識も混濁し始め、

「オレはこのまま死ぬのか」とうろたえた。

その時、死ぬのがとてつもなく怖くなり、

なんて孤独なんだろうと思った」

 

蓮如上人の御文章の有名な一節

「死出の山路の末、三塗の大河をば、ただ一人こそ行きなんずれ」

の一節を思い出すコメントでした。

 

家族全員乗せた車が事故に遭い、全員一緒に死亡した時もやはり独りぼっちです。

一人一人行く世界は違います。

「オレはこちらに行かねばならない」「私はこっちだ」

と親子、兄弟、みな散り散りになり、めいめいの方角に散っていく。

業(カルマ)に応じてみなそれぞれの世界へと旅立っていく、と仏教では説かれています。

 

来世で一緒になろうと帯で二人の体をぐるぐる巻きにして入水自殺しても

二人はそれぞれ違った方角に旅立っていく。

この世、いろいろな人と心を通わせ合っても、

一人旅の途中に一夜の宿を共にしたということであり、

朝が来れば、まためいめいの方角へと旅立っていくのです。

 

そんな一人旅であることを薄々感づいているから、

私たちは何を手に入れても誰と一緒にいても、いつも寂しく、虚しいのです。

 

昨年101歳で亡くなった中曽根康弘元首相は

卒寿(九十歳)を迎えた際、今までの人生を振り返ってこう述懐しています。

「長い間、けんかしたり、仲良くなったり、倒閣をやったり、倒されたりしてきたが、まだ何も分かっちゃいない。夢の中を、さまよっているような感じだな」。

これこそ大義だとやってきたことが、虚しく感じられるのも、

独りぼっちで旅立たなければならない旅路の仮の宿がこの世だと

人生の晩年にふと感じたからなのかもしれません。

 

 

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