親鸞に学ぶ幸福論

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なぜ教行信証を根本聖典と言われるか

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【教行信証(1)】


『教行信証』は鎌倉時代、浄土真宗の開祖である親鸞聖人のよって書かれた書です。

親鸞聖人の著作は決して少なくなく、多くの著作を書き遺されていますが、

主著は?と問われれば、それは『教行信証』です。

浄土真宗では『教行信証』を「根本聖典」と言い、略して「ご本典」とも呼びます。

 

なぜ『教行信証』を根本聖典と言われるのかといえば、

それは親鸞聖人の教えのすべてが書かれてあるからです。

他の著作は親鸞聖人の教えの一部です。

親鸞聖人の教えの全てが書かれているのは『教行信証』だけです。

『教行信証』に書かれていない親鸞聖人の教えはありません。

よって親鸞聖人の教えを学ぶ者は、常に親鸞聖人の『教行信証』をものさしに教えを学びます。

 

『歎異抄』は有名ですが、『歎異抄』はものさしにはなりません。

親鸞聖人のお弟子である唯円が「親鸞聖人がある時ある人にこう仰った」と書き残したものが『歎異抄』であり、

その親鸞聖人のお言葉はどんなシチュエーションで語られた者か、どんな相手に言われたことか、

その背景がわからないと誤解するところが多いのです。

また名文で読みやすいがゆえに多くの人が自分の心に照らして共感したり、感動したりできるので、

『歎異抄』を解釈した本は、著者による「私はこう味わう」との心情が自由奔放に語られてしまってきました。

絵や詩、音楽など、味わいでどう感じ取ってもらってもいいものなら、それでいいでしょう。

しかし親鸞聖人の教えは、弟子や門徒に「このこと一つわかってもらいたい」と伝えたいことがあってのことですから、

勝手に読者の心情で自由奔放に解釈していいものではありません。

 

その点『教行信証』は親鸞聖人があらゆる対象の読者を想定され、

「なんとか釈迦の真意を間違えてほしくない」と

インド、中国、日本の高僧方の数々の根拠を引用され、

精緻な構成で書き遺されているので、

だいたいこんな意味だろう、と読む人のいい加減な解釈を許さないところがあります。

この『教行信証』をものさしに親鸞聖人の教えを学ぶのが浄土真宗です。

 

 

では『教行信証』には何が説かれているのでしょうか。

それは「人生の目的」です。

親鸞聖人は、全ての人間にとって最も大事な人生の目的を『教行信証』に明らかに示されました。

しかも聖人は教行信証の冒頭からズバリ示されています。

『難思の弘誓は難度の海を度する大船』

苦しみ悩みの海を明るく楽しく渡す大きな船が阿弥陀仏の本願なのだ、と明言されています。

苦しみ悩みの波の絶えない海を明るく楽しく渡す大きな船がある、

と親鸞聖人は一番言いたいのはこれだとばかりに

教行信証の冒頭の1行目から書かれています。

 

苦難の波に溺れ、遭難している私たちに、救助の大船があるから決して泳ぐのをあきらめてはなりませんよ、

早くこの船に乗り込みなさい、

と生涯かけて教えられたのが親鸞聖人でした。

この船に乗せていただいたら

「この身になるための人生だったのか」

「人間に生まれてきたのはこの幸せな身にさせてもらうためだったのか」

とはっきりするんだよ、と人生の目的があることを生涯かけて教えられています

 

パンデミック、地震、戦争、何が起きるかわからぬ世の中だと日々のニュースで痛感しますが、

そんな無常の世だからこそ、『教行信証』に書かれている大悲の願船、

何が起きても変わらない不動の安心の境地が希求されています。

 

 

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