親鸞に学ぶ幸福論

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虚しさを仏教の視点で語る

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毎日毎日同じことの繰り返し。

だんだん年を取っていく。

次第に身体も衰える。

そしてふと虚しくなる。

「こんな人生に一体何の意味があるんだろうか」と。

仏教では、こういった誰もがふとした瞬間に去来する虚しさに深く目を向ける教えです。

 

室町時代の禅僧一休はそんな虚しさをこう詠いました。

「人生は喰て寝て起きて糞たれて子は親となる子は親となる」

人の一生は、食べて、食べたら眠くなって寝て、いつまでも寝ておれないので起きて、トイレで出すもの出して、そしてまた何か食べて……と、結局このサイクルの繰り返しが生活であり、やがて子どもだった人が成長し、親となり、そのうち年を取って死んでいく、これが私たちの人生だ、と一休は詠っているのですが、身のふたもない言い方です。

もし人間の一生がこうだとすれば、犬や猫と何ら変わらない。

猫だって、食べて、寝て、起きて、出して、この繰り返しで、やがて子供を産んで親になっていきます。

一休の歌の通りが人生ならば、犬や猫や虫と同じであり、なぜ人間の命だけが尊いといえるのか、根拠がないことになります。

これは一休が「人命は尊い」「人の命は地球よりも重い」というが本当か?と問題提起しているなのです。

 

さらにいえば、人間の場合、食べて寝て起きて、の繰り返しだって決して簡単ではありません。

働かなかったら食べていけず、一人前に食べていくにはお金を得なきゃならず、そのためには働かなければなりません。

寝起きするにも家賃がかかります。

働かないと生活できません。

働くのは大変です。

期限だの、評価だの、査定だの、ノルマだの、忖度だの、パワハラだの、ため息つくことも多い。

そういう面倒なことを乗り越えなければ食べていけない人間よりも「ニャア(お腹すいた)」と訴えれば3食エサもらえるペットの方が気楽と言えないだろうか。

どこに人間の尊厳があるんだろうか。

 

仏教の教えには、この一休の言葉のように「人命の尊厳」がどこにあるか、わからなくなるような言葉がたくさんあります。

ところが一方で「人身受け難し 今すでに受く」(生れがたい人間に生れてよかった)と人命の尊さを宣言するのが仏教なのです。

釈迦はなぜ人命は尊いと言われているのか、ここをわかってもらうのが「仏教を説く」ということです。

 

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