親鸞に学ぶ幸福論

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一人前にやっていけるようになった、その先にあるもの

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【流転輪廻(2)】


自堕落な学生に親が「そんなことじゃ社会ではやっていけないぞ」と説教したり、売れ始めた芸人が「ようやく一人前にやっていけるようになった」と言ったりするように、私たちは「やっていける」とか「やっていけない」と口にするのは、「生活できるようになる」「食べていける」という意味で使います。

 

「やっていける」のが人間として一人前になったことで、立派なこと。

「やっていけない」のは半人前であり、未熟である、と世間は評価します。

親も異性も社会もそういう評価なので、皆なんとか「やっていける」よう、勉強に、仕事に、健康管理に、人間関係にいやがおうにもせき立てられます。

 

しかしそれでもうまくいかないことは人生には多々あって、解雇されたり、事業に失敗したり、体や心が病気になったり、いろいろ起きます。
どんな人にも「やっていけない」状態になってしまう可能性はあります。

 

そこで問題になってくるのが「なぜやっていかねばならないのか」という問いです。

「生きる」とは、人生の急な坂道をがんばって登るようなもので、登り続けている人は「やっていける」状態の人であり、登れずにいる人は「やっていけない」人。

何度挑戦しても登れない人はやがて思うだろう「なんでやっていかねばならないんだろう」「なんでこんな苦しいのに生きねばならないのか」と。

「やっていける」状態の人とて、登った先にあるのはまた次の坂道ですから、その繰り返しのうちにいつかは「やっていけない」状態になります。

 

この度のコロナ禍でやっていけない人が続出しましたが、たとえこの度のことを才覚と努力、また周りのサポートで乗り越えたとしても、坂道は続きます。

いつかはやっていけなくなるときがあります。

つまり「死ぬ」ということです。

「必ず死ぬのに、なぜ人はそれまでがんばって生きるのか」

「必ずやっていけなくなるのに、なぜそれまでやっていけるかどうか、しか問題にしないのか」

これが仏教の根本的な問いであり、その答えが明確になったときが仏教の教えを本当の意味で知ったときです。

 

 

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