【無常(1)】
地震研究者が言うには「日本という国は、国土全体が一本のつり橋の上にかかっているような不安定な状態」であり、しかも「その橋をつっている縄が今にも切れそう」なのだそうです。
南海トラフ地震も「必ずやってくる」とのこと、「東日本大震災も自明だった」と言っていました。
想定外の大津波と言われましたが、東北太平洋側の津波は今回が初めてではありません。
明治29年にも、昭和8年にも襲い、多くの人命を奪い去っています。
それどころかこの地では歴史に残っているだけでも、何十年おきに津波が繰返されており、それがこのたび、着実に再び起きたのです。
現在の地震学の見解では、歴史に記録されていないだけで、同様の津波がそれ以上に相当あったとされ、未来にも何度となく繰り返されるであろうとのこと、
こう聞くと、そこまでわかっていたんならどうして防波堤を高くしていなかったのか、なんでそんな危険な場所に原発を造ったんだ、どうして沿岸地帯に家なんか建てたのか、なんで誰も警告してなかったのか、と後だしじゃんけんのように口々に非難する人も現れますが、50年、100年スパンで危機意識を持てる人はなかなかおらず、大惨事もいつしかすっかり忘れ去られてしまい、めったなことはあるまいという気分になって、またも沿岸部に家が建ち始め、原発建築の話も持ち上がったりする、それが私たちの姿なのかもしれません。
「まさかそんなことが今起きるはずない」と安穏とし、突然やってきて慌て蓋さめくのは津波だけではありません。
がん、脳梗塞、心筋梗塞、交通事故、原発事故、戦争、核ミサイル、パンデミック、通り魔、銃乱射、何が起きるかわかりません。
どれだけこれらを回避しようと努めても、結局のところ「死」は回避できません。
お釈迦様は「死」を虎にたとえられました。
同じ肉食獣でも、狩の仕方はいろいろで、チーターは持ち前のスピードで獲物をしとめ、ライオンは集団で獲物を誘い込んでいきます。
虎の狩りはどうかといえば、あの迷彩色でジャングルに身を隠し、忍び足で近づき、突然襲いかかります。
突然やってくる【死】の実態からいっても、釈迦は「虎」にたとえられたのでしょう。
「いつか死ぬ」
誰でもよく分かっていることです。
しかし私たちの生活に虎の気配はありません。
当然のように毎日朝を迎え、当然のように死なないまま夜を迎え布団に入り、その繰り返しの何十年ですから、明日も明後日もいつまでもこれが続く、と錯覚してしまうのでしょう。
しかし死は忍びやかに近づいています。
虎は一人に一匹づついて、背後から忍び足で着実に近づいてきているのです。
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