【縁(1)】
「つくべき縁あれば伴い、離るべき縁あれば離るることのある」
歎異抄第5章の親鸞聖人のお言葉です。
あなたの親、祖父母、兄弟、恋人、夫、妻、子供、孫、友人、上司、部下、これらの人と出会ったのも「つくべき縁」があったから。
ただこれらの人たちの中でもうすでにあなたの人生にはいない、という人もあるかもしれない。
卒業式以来会えていない人や一時付き合ったもののケンカ別れした人、死別して二度と会えない人などなど。
それは「離るべき縁」があって離れたのですよ、と親鸞聖人はここで言われているのです。
「付くも離るも縁次第」
別にずっと一緒に過ごしたいと努めているわけでもないのに、なぜかこの人はいつも私の視界の中にいるよな、という人があります。
職場なら、なぜかこの人とは一緒に仕事することが多いよな、という人です。
逆に同じ職場に長年一緒に勤めていても、顔と名前くらいでろくに会話を交わしたこともなく、どんな人かよく分からないという人もあります。
縁というのはおかしなもので、好きだから一緒にいれるというのでもなく、嫌いな人だから離れられるというものでもありません。
どんなに好きな人でも離れる縁がくれば離れます。
この人はストレス感じるので離れたいと思う人でも、なぜか離れられない、何かと私の人生に関わってくる、という人もあります。
「縁」とは実に儚いもので、かけがえのないものであり、一方で重苦しく、煩わしいものともいえる、なんともいえないものです。
できることならよい縁に恵まれ、一切の縁をもありがたいご縁だったと感謝できる人生を送りたいものです。
自己を取り巻く一切の縁に思いっきり感謝の言葉を捧げたいと、人生が一変する心の境地があることを教えられたのが親鸞聖人でした。
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