【出世本懐(1)】
日本人の男性の平均寿命は81歳ですが、
健康寿命となるともっと短く72歳です。
多くの場合72歳を超えた頃には入院したり、
寝たきりになったり、認知症になったりして、
一人では日常生活を送れなくなります。
誰かの助けを借りないと出かけたり、
食事をしたり、トイレに行くことができなくなってしまうのです。
そういう期間が平均9年間続きます。
女性の場合は平均寿命87歳に対して健康寿命は75歳ですから、
最後の12年間は誰かに面倒を見てもらわなければなりません。
そうなったら一体何の楽しみが残っているのでしょうか。
旅行にも行けない、好きなものも食べられない、友達と会話をすることもできない、
何の楽しみもないのにお金ばかり出て行きます。
たとえ全ての生きがいが消えても生きなければならない理由は何でしょうか。
毎日毎日同じことを繰り返して罪ばかり造り、悪を重ねて、
だんだん年取って身体も動かなくなり、
周りに迷惑かけて死んでいく。
何のために生れてきたのかと、
人生の晩年になって、虚しく、やりきれない気持ちになる人も少なくありません。
中には、年取ってから津波に家を流され、途方に暮れている人もあります。
「みんな無くしてしまい、もう死ぬだけだ」と呆然としている姿に胸を締め付けられますが、
私たちとて、いつそうなるか分かりません。
絶対ならない、という保証のある人はあるでしょうか。
いつ何時、病気や事件や災害で支えにしているものが崩れるかわからぬ、
泡沫の世に私たちは生きています。
不安に震える人類は心の奥底で
「一切が滅びる中にあって、なお崩れない真実はないのか」
と希求しています。
その人類の声に、親鸞聖人が「ある」と力強く示されているのが、歎異抄の「摂取不捨の利益」なのです。
PS
摂取不捨の利益とは何か、どうしたら摂取不捨の利益(絶対の幸福)になれるのか
以下の動画でお話ししています。
https://www.youtube.com/watch?v=hEFy3rxbD2I
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