親鸞に学ぶ幸福論

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『絶対自殺をしてはいけない』と止めるには『生きる目的』をハッキリさせるしかない

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自殺を止めるのは容易ではありません。

「絶対死んではいけない」と止める理由が

曖昧模糊としているからです。

 

「生きていればそのうち何かいいことあるよ。」

「生き続けることに意味があるんだよ。」

「せっかくのたった一回きりの命なんだから、大切に。」

etc・・

これらの、私たちが用意した答えは力になりません。

 

自殺に至るまでに何度も自問自答して

それらの問いは本人がもうすでに出し尽くしており、

そのいずれもが本人を納得させなかったのですから。

 

「あなたが死んだら私が悲しい」

と言い続けるのがいい、と心理学の本などによく紹介されています。

 

確かにこれは自殺する人の心を揺さぶるかもしれませんが、

問題はそう言い続けることのモチベーションが

止める側にあるか、ということです。

 

教師は生徒に昼も夜も、夜中でも、

プライベート返上で

「あなたが死んだら私が悲しい」

と心から言い続けられるでしょうか。

 

寝たきりで、いっそのこと死にたい、と訴える親に

世話する子供は

「あなたが死んだら私が悲しい」

と心から言い続けることができるでしょうか。

 

ある女性のネット上の発言ですが、こんな人もあります。

「死んだら悲しいって思う人がいる人が多いと思いますが、

死んでくれたらいいのに、と思っている人が

周囲にいるってのもありますよね。

別れた恋人が私に捨てられたせいでおかしくなったと言って

ストーカー化し、自殺未遂までしたそうで。

正直言って、未遂で済ますな一気にいけよ、と思いました。」

 

辛辣ですが、この女性のように思ってしまうこともあれば、

そう思われてしまうことだって人生にはあるでしょう。

 

周りの人が悲しむのが生きねばならない理由ならば

もし世界中の誰しもが

「お前なんか死んだ方がましだ。」

と言われれば

死んだ方がいいのでしょうか。

 

死刑囚はある意味、多くの人の総意で

死んだ方がいい、と判断されたようなものですが、

そういう死刑囚には“生きる目的”はないのでしょうか。

 

たとえ世界中から

非難迫害の的にあい、

すべての人から

お前なんか生きる意味がない、

と罵倒中傷されても

一個の人間にはかけがえのない生きる目的があるんだよ、

と説かれたのが

釈尊であり、親鸞聖人なのです。

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