【諸行無常(5)】
■リューマチで絵筆が持てなくなったルノワールが
晩年こう漏らしたといいます。
「手足がきかなくなった今になって、
大作を描きたいと思うようになった。
ヴェロネーゼや、
彼の『カナの婚礼』のことばかり夢みている!
なんて惨めなんだ!」
私たちはこの自分の手で
いつでも好きなものを握れると
思ってます。
しかし、諸行無常の世の中、
いつ何かの病気で、この手も
言うこということきかなくなるか
わかりません。
■【いつまでもあると思うから、大事にできない】
『ロード』という歌の歌詞に
「何でもないようなことが幸せだったと思う。
なんでもない夜のこと。
二度とは戻れない夜。」
とあります。
人は失った時に始めて
それが当たり前でなかったと知ります。
■【いつまでもあると思うな 親と金】
ということわざもあります。
親を失って始めて、
孝行してこなかったことを後悔する
お金もそう。
散 財して困窮した時に、
「あ~。なんであんなことに遣ってしまったのか。」
と悔やむ。
■もっとも痛切に知らされるのは
我が身の命でしょう。
医師から、「あと1か月の命」と宣告されたら、
どんな気持ちになるでしょうか。
あと一ヶ月、何に使いますか??
▼「本当にやりたいことをしたい」
▼「本当に会いたい人と会いたい」
▼「本当に話したいことを話したい」
▼「本当に行きたい所へ行きたい」
▼「本当に見たいものを見たい」
余命1か月となったら、
今よりずっと、真剣に生きるでしょう。
■逆に言えば、今までの生活は、
ニセものだったと
感じられるのではないでしょうか。
会いたくもない人と顔を合わせ、
つまらぬ会話にうなずいて、
みんなと歩調を合わせて行きたくない所に行き、
取り残されたくないから見たくもないものを見る。
本当の意味で「生きてはいなかった・・・」
だから「さっさと生きてさっさと死にたい」
とさえ思っていた。
■あと一ヶ月の命と期限を突きつけられたら、
その心は一変する。
「人間に生まれたのは、
これを成し遂げるためであった」
といえるものが、何かオレにあっただろうか?
自問自答せずにおれなくなります。
せめて残りの1か月だけでも、
本物の人生を送りたい、と思うでしょう。
【無常を観ずるは 菩提心の一なり】 (釈尊)
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