親鸞に学ぶ幸福論

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限りない衆生済度に生きられた親鸞聖人は永遠の青年だった

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【老苦(4)】

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「青春」

青春とは人生のある期間ではなく、
心の持ちかたを言う。

薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、
たくましい意思、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす。

  (中略)

年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うとき初めて老いる。

  (中略)

頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、
80歳であろうと人は青春にして已む。

(サミュエル・ウルマン作 作山宗久訳)

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“心に夢や理想を抱く限り、

 人は皆、青春である”

とうたったサミュエル・ウルマンの詩は、

敗戦後の多くの日本人に、

再生の勇気を与えました。

 

【未来に生きるのが青年、過去に生きるのが老人】

といわれます。

『未来』とは

【夢】であり、

【理想】のこと。

若者は未来を語り、

老人は過去を語る。

 

▼若者は将来に夢を抱き、

挫折しても、

また立ち上がる。

そして果敢に挑戦を繰り返す。

 

▼老人は挑戦しない。

「あのころは良かった」が口癖になる。

「最近の若い者は・・・。昔はこんなことはなかった。」

「昔はこうだった。いつから日本はこんなふうに・・」

こういう台詞が自分、多くなってきたな、と思ったら、

老いてきた証と思ってよいほどです。

老後、未来を語ろうったって、

「おれの未来は、

 病気になって、

 いつか重くなって、

 死んでいかねばならなくて、

 さて、死んだらどうなるのか。。。」

確かに考えれば

憂鬱になることばかりです

未来に理想を抱けなくなるのも

無理からぬことかもしれない。

 

■心にどんな夢や理想を抱いているか、

その心のありようで、

青年であるか、老人であるか、

決まるといえます。

たとえ七十、八十歳であっても、

素晴らしい未来に燃える人は青年だといえましょう。

 

■親鸞聖人は83歳で『愚禿抄』を著し、

84歳で長子善鸞を勘当され、

臨終まで、枕元には

教行信証』を置かれ、

何度も何度も推敲を重ねられた、

といわれます。

偏に何百年後、何千年後、

末代の我らのために、

「間違いなく仏教を届けたい。」

と念じられたために違いない。

限りなき未来に向って、

夢と理想を追いかけられた親鸞聖人は

【永遠の青年】でした。

 

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