太宰治が芥川賞選考委員であった佐藤春夫に、
芥川賞を泣訴する手紙を書いています。
「第二回の芥川賞は、私に下さいまするやう、
伏して懇願申しあげます」
「佐藤さん、私を忘れないで下さい。
私を見殺しにしないで下さい」
などと切迫した心情がつづられています。
太宰は、芥川賞の候補となったものの落選し、
選考委員だった川端康成の選評に激高し、
「刺す」「大悪党だと思つた」などとする文章を書いています。
一方、太宰の受賞を切望する手紙としては、
「芥川賞をもらへば、私は人の情で泣くでせう」
と訴えてもいます。
私はこの事実を知った時に軽いショックを受けました。
太宰の自伝的小説など読むと、
俗世の賞賛など、毛嫌いしていたような
孤高な人のように感じたからですが、
考えてみれば、人間はみな煩悩の塊、名誉欲一杯の凡夫であり、
太宰が例外であるはずもありません。
自分にとってヒーローだった人が
人の評価をすごく気にする人だった事実を知り、
ショックを受けたり、
好きだった人から聞く、底の浅い自慢話に
さっと心が冷めたりすることがありますが、
人間はみな煩悩の塊、名誉欲 の塊と理解していれば、
何も驚くことではない。
隠していた名誉欲が何かの弾みで見えてしまった、
ということに過ぎないのです。
誰かの言動にショックを受けたということは、
その人を誤解していたということです。
誰かから自分が尊敬されているとしたら
その人を誤解させているということでしょう。
仏の眼から見れば、
皇族も一般人も、民族も人種もなく、
みんな煩悩の塊で、何の違いもありません。