朝食とりながら
朝のニュースを流し見していたら、
女優の二階堂ふみが
「私の中では女子高生最強説というのがあって」
と言っていたのが耳に入ってきました。
21歳の彼女の世代がふだん使う言葉遣いだと思うのですが、
こんな言い方、よく聞きますし、
この言い回しは増えているんだろうなと感じます。
私なら
「私は女子高生は最強だと思っていまして」
あるいは
「女子高生は最強なので」
と言うところです。
「私の中では」といえば、
あなたがどう思うか、それが事実かどうか、を問題にしないでくださいね
という牽制にもなりますし、
「~説」ということによって
真理かどうかはともかく、一つの説として聞いてください、
という意味合いを感じます。
いや、なぜこんなことを言うのかと言えば、
「最近の若い者は・・」と苦言を呈するつもりはさらさらなく、
「言葉は思想を表わす」で
言葉の変化から、思想の変化を感じたからです。
価値観が相対化し、
「みんな違ってみんないい」
「思想も人それぞれ」
「これ一つが真実だ、というのは暑苦しくてうざい」
というご時世にあって、
いかに仏教の教えを偏見なく、不快感なく伝えるか、
今後ますます考えていかねばならない
仏教講師としての課題だと思ったからです。
そういう意味で時代に取り残されてはならないと思います。
昭和初期の天皇制ファシズムの時も
仏教は伝えにくかったでしょうし、
朱子学の学問が徹底された江戸の武家社会でも
仏教は伝えにくい面があったでしょうし、
奈良時代など仏教が国家に保護された時期も、
正しい仏教を伝えるのは困難を極めたでしょうし、
いずれの時代も、「仏教を伝えるのは難しい」のです。
仏教は「難信の法」です。
親鸞聖人は
「おしふることは難し」
「よく聞くことも難い」
「信ずることはなお難い」
と仰っています。
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