SNSやライン上での発言が、第三者の手によりリークされ、
不倫や不正が発覚する事件が相次いでいます。
「あんなメールを送らなければ良かった」
とどれだけ悔やんでも後の祭り、
そのメールは動かぬ証拠として衆の目にさらされ、
次々とリツイートされ拡散していき、
その後も何十年と検索すれば表示され続けるのです。
「一度発言したメールの内容を消すにはどうしたらいいか」
「完全消去の方法は」
という問い合わせは後を絶たないそうです。
このように世の中には、
「あんなことしなければよかった」
「こんなことを言わなければよかった」
と自己の言動を反省する人はあっても
「こんなことを思わなければよかった」
と自分の心の中を反省することはほとんどありません。
何を思っていようが、もう発覚することはないからと安心し、
「思ってしまったこと」は悔やむこともありません。
思ったことを取り消したいと苦悶している人もないでしょう。
ところが仏教では
「身業」(すること)、
「口業」(しゃべること)よりも
「意業」(思うこと)を最も重視します。
それは心が口や身体を動かす本体だからです。
人間は、自分の言うことやすることには慎重を期しても
思っていることについては軽視しています。
仏は逆で、その人の言動よりも、
本体たる心の中で何を思っているか、
ここを最も見つめておられるのです。