とても人には言えない心を一人一人が抱えている、と
仏教では説かれています。
そのことを卑近な例で過去2回、お話いたしました。
親にも言えない、夫にも妻にも言えない、
こんな心を持っていることが知られたら、
みな「悪魔」と叫んで逃げ出すだろう、
そういう心を一人一人が持っていると、
親鸞聖人は言われているのですが、共感されますか。
それとも、それは言い過ぎだろうと思われますか。
心の中を見せたら、みな自分を見捨てて逃げ出すのがわかるので
その心を見せないよう、一生懸命口や態度を飾って、
見せないように隠して生活しています。
しかも、心を全部さらけ出したら、見捨てて逃げるのは
家族や友人だけではありません。
お釈迦様は、大慈悲の心を持たれた仏方も、
私たちの心を全て見通された結果、
とても手に負えないと見捨てられたのだ、と説かれています。
「三世十方の諸仏に捨て果てられたるわれら如きの凡夫なり」
と御文章にあります。
苦しんでいる人を放っておけない仏からも
見捨てられた「心」とは、いかばかりでしょうか。。。
全ての仏が見捨てられた、そんな私たちを
「必ず救う」と誓われたのが阿弥陀仏の本願です。
だからこそ釈迦は阿弥陀仏の本願一つを説かれたのであり、
親鸞聖人は阿弥陀仏の本願に救い摂られたとき、
「煩悩の塊である私を救うのはただ阿弥陀仏の本願だけだった」と
感泣されているのです。
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