親鸞に学ぶ幸福論

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この里に親を亡くした子はなきか みのりの風になびく人なし

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親鸞聖人は35歳の御時、

越後(今の新潟県)へ流刑になっておられます。

流刑の苦難も

「この地にて仏法をお伝えせよとの如来のご方便」

と受け止められ、越後の人々の胸から胸へ、

仏法を伝えられるのでした。

 

春の訪れと共に、野に色とりどりの花が咲くが如く、

仏縁を喜ぶ人が越後の各地に現れたのを、

昔から伝わる『親鸞聖人のお歌』に

「厳寒深雪の越後路に 御法の春をぞ迎いける」

と歌われています。

 

ところが最初から喜んで聞く人はいなかったようです。

よそ者を警戒する、閉鎖的な田舎のこと。

まして親鸞聖人は流罪人ですから、

誰一人、耳を貸す人がいなかったのでしょう。

こんな聖人の歌が越後に残されています。

「この里に 親をなくした 子はなきか 

 み法の風に なびく人なし」

“この越後の地に、親を亡くした子供はいないのだろうか

仏法を聞く人が現れない”

 

この歌からは、一軒一軒、戸別に訪ねて回られるも、

いぶかしげに顔をしかめてピシャリと戸を閉める、

取りつく島もない応対に、なお忍耐強く、

また次の家、隣の村へと歩みを運ばれる親鸞聖人のお姿が

彷彿としてまいります。

 

「この里に 親をなくした 子はなきか」

“この越後の地に、親を亡くした子供はいないのだろうか”

と、親鸞聖人が言われているのは、

聖人ご自身が4才でお父さんを、8才でお母さんを亡くされ、

今度死ぬのは俺の番だ、死んだらどうなるかと、

我が身の後生に驚きが立って、仏門に入られた方だから

このように言われたのでしょう。

「私と同じように、親を亡くしたことが縁となって、

仏法を聞きたいと思う人は、この里にはいないのだろうか」

と親鸞聖人はここで歌われています。

 

昔から「親の葬儀で、親の骨壺を抱える時、

人はもっとも人間らしい気持ちになる」

といわれます。

みなさんの中には、親を亡くしたことをきっかけに、

仏教を聞きたいという気持ちになられた方もあるかも知れません。

私の仏教講座を受講される方でも、ご両親の死をご縁とされ、

聞法心をおこされた方は少なくありません。

 

働いて働いてそれでも一生貧乏で、

最後は病院で枯れ木のようになって死んでいった母親の姿を見て、

「なぜ苦しくても生きるんだろう」

「生きる意味って、何だろう」

と考えさせられた、という人もあります。

 

小学生の時、お母さんを突然の事故で亡くし、

「お母さん、どこへ行ったんだろう、今どこにいるんだろう」

と気になって、それがきっかけで死を深く考えるようになり、

仏教に死の不安を解決する何かがあるのでは、

と思われるようになり、

聞き始められた方もあります。

 

このように親の姿から、人生を考えさせられ、

仏縁を結ぶことはよくあるようですが、

「そういう人はこの地にいないのか」と

親鸞聖人は仏教を聞く人が現れないのを悲しんでおられます。

 

しかし同時にこの歌は、親鸞聖人の喜びの歌でもあります。

どうしてこの歌が喜びの歌なのか、次回にお話いたします。

 

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