【遇法(1)】
■大久保利通が暗殺されたのが48歳だったと知り、
「そんなに若かったのか」と新鮮な驚きがありました。
大久保暗殺の年齢については、歴史の資料や小説などで
受験生時代にも、その後も何度も目にしたはずですが、
その時には気にも留めませんでした。
今になって驚きを覚えるのは、
自分がその年に近づいたからでしょう。
明治政府の重鎮で、国策を強力に牽引し、
西欧列強とも渡りあった威厳、迫力から
明治の大久保にはいつしか老成したイメージを持っていましたが、
「そんな年齢だったのか」と思った次第です。
■当然ながら、この驚きは「お前はどうだ」という
自己批判を伴うものです。
大久保の能力、努力、胆力、いずれも
自分とあまりにもかけ離れていることに
忸怩たるもの、絶望感に似た思いがあります。
■自己啓発では、よく聞かれる質問、
「あなたは自分を好きですか」との問いに
「好きです」と答えられないようでは、
まだまだわかっていないと、失格の烙印を押されるのでしょうが、
私は自惚れた男ではあっても、
「自分が好きだ」とはちょっと言えません。
尋ねられれば、いささかな躊躇を覚えながら、
「嫌いですかね」と言ってしまうでしょう。
■しかし自分の遇えた環境、今生で巡り遇ったご縁については、
「これ以上はないです」「二度とやり直したいとは思えません」
と答えます。
我が身に起きている不思議な身の幸にいつも感泣しているからです。
何度生まれ変わっても、こんなご縁はありえないと確信しています。
■親鸞聖人は主著、 教行信証に
「極悪最下の親鸞が、
どうして遇い難きインド、中国、日本の高僧方の
ご教導に遇えたのか」
とあふれる喜びを語っておられます。
仏の教えに遇うとは、「身の幸何にたとうべき」。
大変な、大変なことなのです。
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