【信心(1)】
宗教の教祖や古参の信者が、信者に幸福なことがあると、
「信心しているおかげだよ、よかったねえ」と言います。
一方、不幸なことがおきると、今度は
「信心が足りないからこうなったのだ」と言います。
あるいは「信心しているから、それくらいの不幸で済んだんだ」
と諭して納得させるケースもあります。
なにしろ、信心が強いか弱いかで、
運命が良くなったり、悪くなったりするという宗教は
日本だけでも、ごまんとあります。
そういう宗教の集会に行くと、
「こんな不幸が、信心したら、こんな幸福になった」
という体験談のオンパレードです。
いくつも聞かされるうちに、
「私もこれを信心したら、そうなれるのかな」
と思うようになります。
「いや、ならんでしょう」と苦笑する人は冷静な人ですが、
人間は苦しくなり、追い詰められた心境になると、ふだんなら
「よくそんな根拠のない、いい加減な話しを信じられるものだ」
とあきれる話しにも【溺れる者はワラにもすがる】で、
助けを求めて、すがってしまうのです。
「信心しなさい」「もっと信心しなさい」
「もっともっと信心しなさい」「信心が足りない」
とずっと強いられます。
これに完成はありません。
そういう人たちは、疑わないように、疑わないように、
懸命に力んでいる人ばかりです。
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