【相対の幸福(2)】
歴史には、さぞ本人は無念だったろう、悔しかったろう、
というエピソードが多々あります。
主君の命で妻子を人質に差し出すとか、
親友と信じて打ち明けた情報を利用され、殺されるとか、
断腸の思いで我が子に切腹を命じるとか、
責任を負わされ、自害するとか、と、壮絶です。
それでも毅然としてその運命を受け入れていく人物の心情を、
その葛藤や後悔、忍耐や意地などを描写されると、
「おれの苦難など、まだまだだな」
「ずっとましだな、自分の境遇の方が」
と、今の境遇に感謝しなければならない気持ちにさせられます。
「苦難の人を見て、自分の今を感謝する」
というと聞こえがいいですが、言い方を変えれば
「不幸な人と比較して、幸福を感じる」ということです。
幸せそうな人を見ては憂鬱になり、元気がなくなる、
逆に人の不幸を見聞きし、安心する、
そんな幸福を「相対の幸福」といいます。
比較相対して幸・不幸を感じる、
そういう幸福しか私たちは知りません。
しかしこの幸福は、どこまで行っても、
【劣等感】と【優越感】の間を振子のように揺れ動くばかりで、
心が落ち着くことはありません。
そんな私たちに「一人居て一人喜べる法」絶対の幸福があることを
教えられたのが、仏教です。
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