親鸞に学ぶ幸福論

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AI時代の思う幸福感

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【識(1)】

 


次世代に主流になるAIの自動運転では

ハンドルを握らずとも勝手にAIがハンドルを切り、

赤信号ではちゃんとブレーキをかけ、

目的地まで連れてってくれるそうですが、

今の私だったら「AIなんかに任せておれるか、もし事故ったらどうする」とかえってやきもきし、

ハンドルを手放すことはできないなと思います。

 

しかしそのうち慣れていくと、AIの運転の方が確実だと私も理解していくことになるでしょう。

今日の世界では、気が散っていたり腹を立てていたり悩み事を抱えていたりする運転者のせいで、

毎年100万人以上が交通事故で命を落としているそうですが、

そんな惨事もAI運転が普及すればずっと少なくなると予測されています。

やがて私は助手席に座っていても、運転者が人間だとかえって不安で落ち着かない、

あるいは自分が運転する方がかえって事故りそうで緊張する、となっていくかと思います。

 

ではそんな時代になって、AIの指示通りの運転していたところ

人をはねて死亡させる人身事故を起こしたら、誰の責任となるのでしょう。

運転者の責任か、AI製造会社の責任か、

ややこしくなりそうです。

 

これは運転だけではありません。

企業のビジネスプランも、国の政策決定も今後AIが関与するでしょう。

AIの下す判断がなぜ有効なのか、人智ではわからないことがある。

でもその通りやればうまくいく。

そのうち自分があれこれ悩んで下す判断よりもAIに順っておけば間違いないとなり、

やがては人生のおける価値の選択、

いわゆる「何を学ぶべきか」「どこで働くべきか」「誰と結婚するべき」も、

AIのご託宣で決まる時代が到来するかもしれません。

 

ではその場合、AIのお告げに順って行動した結果、

うまくいかなかった場合はどうなるのでしょう。

AIに訴訟を起こすのか。

AIを恨むのか。

 

AIの仰せの通りに就職し、うまくやれて社会的に成功したとしてもです、

仕事している人の心が幸せでなかった場合はどうなるのでしょうか。

それで訴訟されても、AIはそんな個人の心のことまで責任持てないのではないでしょうか。

 

結婚でもそうです。

AIがあらゆるデータを元に選んだ相手と結婚した。

さすがビッグデータ通りで、傍目にはうまくいっている家庭を築いた。

しかしどうにも自分自身にその人との結婚生活に幸福感が味わえない、ということもあるかもしれない。

そんな場合は誰のせいにしたらいいのか。

 

AIが指南したとおり進んで、安定した仕事でそこそこの収入を得られたとしても、

人生に充実感は感じられないかもしれない、

「なんでこんなに虚しいんだろう」と悩むかもしれない。

AIの指示を無視して自分が決めた好きな道を進んで

たとえその一生が波瀾万丈で、傍目には不幸に見えても、

本人は充実感に満ちているかもしれない、

臨終に「幸せな人生だった」と微笑むかもしれない。

 

人間の心の幸福というのは、どこまでいっても

AIではどうにも不可解で分析できないものであろうかと思います。

 

 

 

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