親鸞に学ぶ幸福論

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日本人が語り継いでいかねばならないこと

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【穢土(1)】


サイパン島は青い海と白い砂浜のリゾートにふさわしい南の島ですが、かつてこの地は日米の激しい戦闘で、多くの人が犠牲になった地でした。

中でも痛ましいのは「バンザイクリフ」と呼ばれる絶壁の海岸です。

アメリカ軍に追い詰められた日本軍や民間人が、投降することを選ばず、バンザイクリフから飛び降りて集団自決したのです。

戦時中「生きて虜囚の辱めを受けるより死を選べ」の思想が徹底していたからでした。

 

そのサイパン島でも米軍の捕虜となり、戦後生還した人もありました。

今は高齢者ですが、当時は中学生で、自分がこうして生きて帰ってこれたのは両親のおかげだと語りました。

爆撃で負傷して動けなくなった父の最後の言葉が「行け、お前たちは必ず生きて日本に帰れ。弟と妹を頼むぞ、絶対に死ぬな」でした。

それで米軍に見つかったときもその言葉が思い出され、自決するのをやめ、弟妹とともに投降したそうです。

「生きて虜囚の辱めを受けるより死を選べ」の思想に殉じなければ非国民扱いされる時代でしたが、親の子を思う気持ちがそれにまさったのでしょう。

 

他にも戦時中の経験を語る人の体験にこうありました。

「級友たちは海軍の予科練に志願していきました。

私も海軍も考え、先生に相談したところ、大いに行けと勧められました。

でも母が願書をに押すハンコをくれません。

反対だったんだと思います。

結局自分の母印を押して海軍に入隊しました」

反対は言えない、だけどハンコをくれなかったお母さんの気持ちが有り難く、今になってしみじみと語られたのだと思います。

 

かつて自分の息子が戦地に出陣する際も、バンザイで威勢よく送り出さなければならず、戦死の報を受けても、おおっぴらに悲しみを表すこともできなかった時代がありました。

戦争の残酷さを語る人はどんどん亡くなっていきますが、それでも日本人は、このとき、いかに人命が軽く扱われ、言論の自由も奪われ、家族は引き裂かれたか、見聞きする機会があります。

特に今月、8月はそういう時期です。

 

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