親鸞に学ぶ幸福論

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「忙しい」とは「心を亡くす」と読む

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【なぜ生きる(1)】


「人間は呼吸するために生きているのではない。何かをするために生きているのだ」

とは、フランスの思想家ルソーの言葉です。

この言葉に、そりゃそうだろう、と誰しも思います。

呼吸するために生きている、なんて思っている人は誰もいない、

「何か」をするために生きている、には違いないのですが、

問題は、その「何か」とは何だろうか、ということです。

その「何か」の違いが、各人の人生観の違いと言えます。

 

私たちは日々、何をするために生きているのか、考えてみますと、

一日のほとんどの時間、仕事をするために使っている、といえます。

朝6時半に起きて、8時頃家を出るまでの1時間半は

洗顔して、朝食取って、仕事のための服を着て、身だしなみを整え、化粧し、

いってみれば「仕事の準備」です。

一日の仕事を終え、電車に揺られ、帰宅すると9時、

仕事で疲れた心身をしばし休息させ、

明日の仕事の段取りを確認して、

夜更かしすると明日の仕事に響くので、12時頃床につく、

振り返ってみると、朝から晩まで、仕事をしているか、仕事の準備をしているか、

だと思う人は多いのではないでしょうか。

となれば、ルソーの言う「何か」をするために生きているその「何か」とは、

多くの人の場合、「仕事」といえるかと思います。

 

では、私たちが一生の大半を使う「仕事」とは、

何のためにするものでしょうか。

「仕事するのは何のためだって?何のためも何も、そもそも仕事をしなければ食べていけないではないか」

と返ってきそうです。

「食べていくためには仕事しなきゃ」

と仕事に精を出します。

仕事をするのは食べるため、生活のため、

仕事をしなければやっていけなくなる、生きていけない。

だから仕事をしている、というのがほとんどです。

 

では「何のために食べるの」と訊けば、

「食べるもの食べんと明日からしっかり働けないだろ」と返ってきます。

確かに身体に悪いものばかり食べていると、働けなくなってしまいますから、

ちゃんと食べなきゃなりません。

となれば「食べるのは働くため」となります。

 

働くのは何のためか。「食べるため」。

食べるのは何のためか。「働くため」。

働くのは食べるため。

食べるのは働くため。

では「働いて食べているのは何のため?」と聞くと、

とたんに答えに戸惑う。

多くの人が、働いて食べる、この繰り返しの日々に

「忙しい、忙しい」と走り回っている有様です。

忙しいとは「心を亡くす」と書きます。

「何のために生きるのか」人間らしい心を失っている状態を指す言葉が「忙」という言葉なのです。

 

忙しい日々に一呼吸置いて、

いったい私は何のために働いて 、食べて、生きているのか。

自問自答してみるのも、有意義な年始のスタートとなることでしょう。

 

 

 

 

 

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