【なぜ生きる(2)】
人は一日の大半を仕事に費やします。
日々どうしたら仕事がうまくいくか、
頭の中は仕事のことでいっぱいです。
少々体がつらくても「仕事だから」の一言でがんばって働きに出かけます。
世間も、きちんと仕事をし、収入を得て生活している人を、「一人前」と評価します。
家族や友人との約束も、急な仕事が入れば「仕事なら仕方ないよね」と皆あきらめます。
自分も周りも、何より仕事最優先です。
「では仕事をするために、あなたは生まれてきたのですか」と訊くと、
「そうだよ」と胸張って言う人も少ないように思います。
基本的に仕事は、嫌で面倒なものなのだからです。
連休明けの駅のプラットフォームには、
「あ~あ、今日からまた仕事かぁ」
とため息つく人で満ちています。
どれだけこなしても、
次から次へとやらねばならないのが仕事ですから、
キリがなく、これで終わったということはもうありません。
こんな繰り返しをするためにこの世に生まれてきたのか、
これではまるで苦しむために生まれてきたようなものでないか・・・・・・
ふと疑問に駆られることもあります。
一方でこうも思います。
「なぜ働くか、だって?そんな青臭いこと言っている暇はないんだよ、こっちは。働かなければ生きていけないんだよ」
これもその通り。
しかし問題はまさにそこにあります。
「働かなければ生きていけない」
には違いないのですが、
じゃあ働いてさえいれば、いつまでも生きておれるのでしょうか。
答えは明らかで、いくら働いていても死ぬんです。
だとすればやはり「なぜ働いて生きるのか?」の問いが胸をついて出てきます。
仕事さえしていれば、いつまでも生きられるのではありません。
やがて老い、病気になり、仕事もできなくなり、いつか死ぬのです。
それはちょうど大海の真ん中で方角知らずに、
泳ぎ方ばかりに没頭した挙げ句、
土左衛門になっていくようなものです。
「一生懸命働かないと生きていけないんだ」の主張は、
大海原に遭難した人が
「一生懸命泳がないとおぼれてしまう」
と言っているようなものです。
果てしない人生の海に遭難する全人類に、
もっとも肝心な
『どこへ向かって泳ぐのか』
『なぜ生きねばならないのか』
を問題提起し、
その上で救助の大船の厳存と方角を示したのが仏教です。
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