親鸞に学ぶ幸福論

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夢想国師の歌に見る無常観

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【無常(1)】

 

「打つ人も 打たれる人も もろともに ただ一時の 夢の戯れ」

室町時代の禅僧、夢想国師の詠んだ歌です。

 

夢想国師が数人の弟子を連れ、天龍川の渡し舟に乗った時のこと。

船中で横暴な振る舞う酔っ払いの武士に対して、

「どうかお静かに願います」と国師が諭したところ、武士が逆上した。

「何、この坊主、わしに説教するつもりか」

といきなり鉄扇で国師の眉間を打ちすえた。

師匠の額から鮮血が流れるその姿に弟子の面々が怒った。

この人たち、今こそ出家の姿をしているが元は北面の武士、

「おのれ、お師匠さまに何をする」といきり立つ。

「やるか、坊主ども」と武士も真剣白刃を抜いた。

さて、今や斬るか斬られるか、どちらか死んで血の雨が降るかとなった時、

国師が大喝、両者を諫めて詠んだ歌が先ほどの

「打つ人も 打たれる人も もろともに ただ一時の 夢の戯れ」

です。

武士はたちまち悔悟の涙を流して、国師の弟子になったと言われます。

 

「打つ人」とは、酔った武士。

「打たれる人」とは、夢想国師。

打ったり、打たれたり、のケンカの最中は、

「おのれ、許せん、どうしてくれようか」

とお互い目を血走らせますが、

それも「ただ一時の 夢の戯れ」。

何年も経てば遠い過去の思い出になってしまいます。

「あ~、この眉間の傷はあの時の。。」

「そんなこともあったなあ」

と懐かしい思い出話になってしまうものばかりです。

そんなはかない夢幻となってしまう出来事のために、

殺したり、殺されたり、大切な命を散らすようなことがあってはならない、

馬鹿なことをするものではない、早まるな、

と諫めた歌が

「打つ人も 打たれる人も もろともに ただ一時の 夢の戯れ」

です。

 

「打った人も、打たれた人も」だけではありません。

「ふった人も ふられた人も もろともに ただ一時の 夢の戯れ」

ふられた、悔しい、あの人を殺して私も死ぬ、

と思い詰めている人がありますが、

止めなさい、愚かなことだ、

まだすぐいい人が見つかって、早まったことをしなくてよかった、と思える時が来るよ。

その時には遠い目をして、ああ、過去付き合った人にあんな人いたなあ、

と時々思い出す程度の出来事になってしまうのだよ、ということです。

 

「儲かった人も、損した人も もろともに ただ一時の 夢の戯れ」

おのれ、あいつのせいで損をした。あいつだけが儲けやがって、許せん、

とその時は、差し違えてでもあいつだけは、といきり立つものですが、

馬鹿なことを思い詰めるものではない、

あと何年もすれば、あの時の挫折がなければ今の自分はなかった、となるもんなんだ、

そんなつまらんことに尊厳な命を散らしてはならない、

という意味になります。

 

「受かった人も、落ちた人も」

「出世した人も、解雇された人も」

どう置き換えても同じです。

一喜一憂していたあの場所、あの学校、あの町全体がいまや完全に廃墟と化し、

ぶつかり合ったライバルたちも、今はもういない。

あれは一時の夢だったのだろうか。

と一切は夢幻の出来事になります。

 

夢の世にあって、本当に人生かけて臨まねばならない「人生の目的」は何なのか。

よくよく考えよ、と仏教は説かれています。

 

 

 

 

 

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