【無常(1)】
「親の最後の教育」という言葉があります。
学校の教師、塾の講師、部活の先輩、会社の上司、友人、同僚、
私たちはさまざまな人からいろいろなことを学びますが、
なんといっても多くのことを学ぶのは親です。
人生のスタートから、食事のマナー、掃除の仕方、挨拶・返事も、ぜんぶ親から学びます。
言葉も、親が使っている言葉が母国語になります。
親が関西弁なら、子供も関西弁です。
仕事をする、ということの責任の重さも、
仕事をしている親の背中を見て子供は学んでいきます。
やがて親が老いていけば、「老い」とはこういうものなのか、親の介護を通して学びます。
そしていつか親が「死ぬ」時、
「死」とはこういうことなのか、と親を看取る中で教えられるのです。
「あんなに苦労して働いてきたお父さん、最後は病気で枯れ木のようにやせて・・・。いったいお父さんの人生はなんだったんだろう」
「最後あんな顔して死んでいったお母さん、私たちに何を言い遺したかったんだろう」
親が死んでいった姿は、厳粛な人生の現実を子供に見せつけることとなり、
「生きるって何だろう」と深く考えさせられます。
これが親から教わる「最後の教育」です。
この「親の最後の教育」をどう受け止めるか、で人生は変わります。
親鸞聖人は4歳の時にお父さんを亡くされ、
8歳の時にお母さんを亡くされています。
聖人は「波瀾万丈」という言葉がふさわしい一生を送られた方ですが、
まさに人生のスタートから激しい波が聖人に襲いかかった、といえるかと思います。
松若丸(のちの親鸞聖人)は、
ついさっきまで温かい手で自分の頬をなで、
優しい目で語りかけてくれていたお母さんが、
たちまち目が閉じ、顔から血の気が引き、手は冷たくなり、帰らぬ人となっていった現実に
なんてあっけなく「死」はやってくるんだろう、と世の無常に愕然とされるのでした。
その時、松若丸は8歳ですから
「お父さん、どこ行ったんだろう。お母さん、どこへ行ったんだろう。お父さんに会いたい。お母さんに会いたい」
とどんなにこそ思われたでしょう。
松若丸がさらに考え込まれたのは、自身の行く末でした。
「お父さんが死に、お母さんが死んだ。次に死ぬのは自分の番だ。いったい自分は死んだらどこへ行くんだろう」
真剣に我が身の死んだ先を考え込まれ、真っ暗な未来に驚かれるのでした。
世の中には父親が死んでも、母親が死んでも、
夫が死んで見せても、妻が死んで見せても、子供が先に死んで見せても、
すべて他人事と受け流し、自分はまだまだ死なないと頑として思い込み、
我が身の確実な行く末に目を向ける人はないものです。
松若丸は違いました。
両親の死を縁とし、我が身の生死の一大事に驚き、
なんとしてもこの大問題を解決したいと、
比叡山の慈鎮和尚の門を叩かれたのです。
9歳の時でした。
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